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- ▼ - 共感の重要性 - kye [6925] 08/08/13(水) 20:55
- ・共感も重要 - kye [6937] 08/08/21(木) 00:36
- ・Re: 共感の重要性 - AM [6932] 08/08/17(日) 16:56
- ・Re: 共感の重要性 - 浅月ユウ [6927] 08/08/14(木) 20:13
- ・Re: 共感の重要性 - JUN [6926] 08/08/14(木) 11:40
共感の重要性
- ◆ kye [6925] 08/08/13(水) 20:55
- どうも、うだつの上がらない書き手でならしたkyeです。
以前から感じていたことなんですが、読者さん――読書に限らずゲームのプレイヤーでもいいです。とにかく受け取り手というものは、どうにも「共感」を求めているように思えるんですよ。
「共感した。よかった。」「共感できて感動した。」「主人公の行動に共感できなかった。最悪。」「主張に共感が持てない。糞ゲー決定。」
そういうふうな感想をネットの上の批評ですがしばしば目にします。
そこでお尋ねしたいのですが、「共感」って大切なものでしょうか?
共感できる部分があって良い、というのは自分と同じ意見を提示されて、その符号が他者(というか第三者?)からもたらされる自己肯定に繋がるから気持ちいい、というだけじゃないのですかね。それはそれで気持ちのいいものなのですからエンタメとしては正解ですよね。
逆に、共感できないというだけで理解を放棄した意見を見ると寂しくなりますね。
共感できないものを価値が無いように捨ててしまう行為であると感じられて、自分はあまり気持ちのいい意見には聞こえないんですよね。(好きな食べ物をけなされた気分ですよ)
以上は自分の意見です。
特異な意見であっても理解さえ出来れば面白いんじゃないかという、そんな雑食性の思考ですね。
そんなわけで、他の人の「共感」についての意見を求めたいと思います。
ご意見お待ちしております。
ではでは〜
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共感も重要
- ◆ kye [6937] 08/08/21(木) 00:36
- どうも、ひとまず意見を寄せていただいた皆さん、ありがとうございます。
自分でもケースバイケースと分かってはいるんですが、創作の上で何が先に立つべきか、などと考えると「共感」に関してもわだかまるところがございまして、このたびこのようなトピックを立てさせていただいた次第です。
簡単ではありますが返信をさせていただきます。>JUNさんホント、自分で言ってても耳が痛いですw
天邪鬼な性分なので一粒で二度痛いのですから、たまったものじゃありませんよw
フィクションに対して100%の共感が得られないことは、究極的に言えば現実に還元してさえ言えることなんですよね。そこはもう本当に当人の経験だったり性質だったりが大事になるのでしょう。
創作物の消費にしてもサプリメント的に摂取する人には共感が大事になるのでしょうね。主食として摂っていく人にはそれぞれ個性があるでしょうし。
ラノベがサブカルってくくりのままじゃ作品独自の味を未消化なまま読了してしまう方も比重として多いままなんですかね。まあ出版物の消費に関してはkyeが考えることじゃなくて、出版社さんが努力するところですねw
創作の姿勢に皮肉を持ち込むのは以前からやってることだし、これからもやりたいと思いますね。皮肉というか、天邪鬼ですが。>浅月ユウさん例に挙げられたピカレスクものなど、自分がこの話題を出したポイントかもしれませんね。
犯罪者を主人公に据えて物語を展開したとき、その犯罪に共感なんてされては、作者が犯罪を助長してることになりますからね。
この場合は行為に対してですが、共感を得ることなく、物語に面白味を出そうとしたら、そこではプロット的な物語の骨子の部分に力を割かねばならないのでしょう。
そうして出来た共感の無い面白味のある物語というものが、共感を得る物語と比べて評価を落とすものなのかどうか、ということを考えて……みましたが答えは出ませんでした。(自分にそれらを書く実力が無いので)>AMさん最低小説を思い出しましたw
中二病全開の稚拙な文章で綴られる壮大なるエゴ。誰が書いてもだいたい似たり寄ったりなんですよね。
主人公が絶対に正しくて、主人公は特に理由も示さず相手を批判して、相手はそれに反論せず襲いかかってくるが主人公が完全勝利して一件落着しちゃう。
主人公にだけ感情移入していれば気持ちがいいのでしょうけど、やはり無理がありますよね。
逆に全く共感できないのに好きになるキャラクターっていうものも存在します。
小悪党キャラとか。すごい小賢しくて口八丁手八丁で主人公を苦しめるけど、逃げ足が速くていつも捕まらず、最後は話が佳境に入ったあたりでラスボスっぽい奴にあっさり殺されちゃうような小悪党キャラ。
そういうキャラを愛しく思うのは、やはりどこかで共感しているのですかね。人間臭さとか。
共感を作品を介した感応における無音のコミュニケーションと捉えるのは確かに究極的ですね。
他にも感応し合えるものがあるのでは、という思いもありますが、やはり共感が交感しやすいのですかね。
以上、貧弱ながら返信とさせていただきます。
難しいですね、共感。
物語のどの段階、どの階層にそれが存在すればいいのか、深ければ味わい深いけれど、そこまで潜ってくれる読者ばかりとは限りませんからね。
潜らせるのが筆力なのかもしれませんが。
いろいろとわだかまる部分もございますが、やっぱり実力をつけなきゃ、という結論に落ち着きますね。
未熟な書き手の未熟なお題目ではありましたが、このトピックに共感して下さり、皆様ありがとうございました。
ではでは〜
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Re: 共感の重要性
- ◆ AM [6932] 08/08/17(日) 16:56
- こんにちは、AMでっす。遅ればせながら私見をひとつ寄せてみます。
自分的に共感できるかできないかの境目は、登場人物の行動や心情に対する神視点(=作者)からの裁定で決まっちゃいますね。
例えば対立する二人の登場人物A・Bの内自分がAに肩入れしている場合。最終的にBが勝利しても、「勝ったのはBだけどAにも何某かの正当性はあった」と示されればまあ納得なんです。明確な描写がなくても、作り手サイドのそういう価値判定ってなんとなく表れるもんですし。
そしてそのように透けて見えた思惑が「勝ったのはB。だってBが絶対正しいんだからそんなの当たり前。BったらB」だった場合。恥ずかしながら即座に「あ、この話合わない。無理」となってしまいます。
登場人物やストーリーに置いてきぼり食らうのは一向に構わないけど、作者に置いてかれるのは耐えられない。物語が自分の共感から外れた方向に進むならば、その齟齬に対するもどかしさをどこかで受け止めて欲しい。自分で書いててちょっと気持ち悪いですが、正直こんな感じです。
以上が受け手としての「共感」ですが、逆に作り手の立場に立った場合、上記の例で言えば「本当は断然B派だけど受け手には『Aに理解を示している』と思い込ませる」なんて状態が自分的な理想だったりします。
突き詰めると「共感」ってひとつの物語を介した受け手と作り手のコミュニケーションの一形態で、その関係上作り手の方がやれる事が多い分努力の余地があるのではないかなーと、自分が実現できてるかどうかは完全に棚上げして言ってみます。
以上、少しでも参考になれましたら幸いでございます。
では〜。
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Re: 共感の重要性
- ◆ 浅月ユウ [URL] [6927] 08/08/14(木) 20:13
- 久々に書き込みます(汗 ご無沙汰してます、kyeさん。
えっと、本題の方なんですが。
私からして共感は大切なものだと思います。
本にしろゲームにしろ、何かしらそれはステータスとなると思います。
とても大雑把に、過激気味に言ってしまえば、例えば「依頼で人殺しをして、最終的にあの人物を殺してしまえばクリア」となるゲームがあったとします。
そして、主人公には特に動機がないとします。
ただ人殺しをしたいだけ――そんなゲームはやっていて気味が悪いはずです(必ずしもそういう人だけとは限らないかもしれませんが/汗)。
そういった不和な感情を与えやすいものは人々が寄り付きません。これは私の勝手な考えですが、本能でそのゲームを否定しているのだと思います。
次に、小説で恋愛物があったとします。
特に設定などもなく、だけどリアルで身近な恋愛を綴られると、最低限何かしらの思い出を刺激された人たちがそれを評価してくれます。
例え経験がなくても、自分が望むものがその小説内にあれば、その人はおそらく評価するでしょう。
とても端的な考えですが、大抵の読者は設定の緻密さよりも人間としての共感を求めていると思います。
自分の足りないもの、また表現したくても出来ないものを汲み取ってくれるから好きになるのは、きっと人間としての感情のあり方なんじゃないかと思います(そうじゃない人を否定するつもりはないし、私がそうじゃなかったりするんですが……/汗)。
例えどんなに設定が上手いゲームや小説でも、登場人物の思いに共感することが出来なければ先を進んで知ろうという気にはなりません。
理性で設定の側を取るか、感情で共感の側を取るかは人それぞれですが、大多数は共感で決めるものですし、作品作りをする自分としても、設定を突き詰めながら共感を大事にするべきだと思います。
作品の中に人格を持つものがある以上、やっぱり共感は生まれるものですから、共感は大事だと思いますです。
えと、相当訳のわかんない内容になってしまったかもしれませんが(というかはちゃめちゃですが)……とりあえずそんな感じです(汗
それでは、駄文失礼しました(汗 退散しますっ
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Re: 共感の重要性
- ◆ JUN [6926] 08/08/14(木) 11:40
- どうも、こうして直接対話するのはチャット以来でしょうか。JUNと申します。
さて、共感についての意見ですが、なかなか手厳しい物があり、僕も耳が痛い所があります。というのも、僕自身、見た感じ共感できなさそうだと思う作品は、意識的に避けてしまう傾向があるからです。さすがにそれを好きな人が居るなら、軽はずみな批判は避けますが。
共感を特に大事にするというのは、本やゲームなどの作品に触れる時の姿勢、評価軸の問題じゃないのかと思うんです。
というのもゲームにしても、小説にしても、共感というのは評価する時に一番分かりやすい軸だと思うんですね。
例えば小説ならば、筋の意外性とか描写の巧拙、物語の構成等々、他にも評価軸はありますが、そのあたりはある程度本を読んだり、自分で小説を書く様になってからこそ分かるし、論じられる部分だと思うんです。
それに対して、そこに出てくる人がどう思っているか、その人がどういう人かというのは、よほど分かり難く書かれない限り、読みとるのはそう難しくありません。というか、正確に読みとれなくても、読み手側でこいつはこういう奴と勝手に認識して結論できてしまえます。それくらいなら、どんな人にだってできると思うんです。
そうすると、それはみんながやる評価ということになります。だから売れたい作品だったら、やはりそこで良い評価を得ることが大切にされるし、そうやって売れている作り手が大切にするからこそ、評価する側もフィードバック的にそれが大切なんだと思うようになります。
そうして、入りからほんの数ページで分かる行動、言動などが共感を呼ぶか呼ばないかだけが作品の評価において大切にされていくようになります。
また、こうやって皮肉っぽく言う僕自身も、自分の価値観を肯定してくれるというだけで、やはり嬉しく思います。それだけを目的にしてしまうと、読める話の幅が少なくなってしまうし、一応作り手の端っこに居る以上は、他の評価だって大切にしたいのですが。
繋がっている安心感、同じだという気持ち良さはそれほど強烈に良い印象を与えます。特に今は、昔と違って、当たり前に皆と一緒になれることがなかなかありません。何かの作品が共通して好きであっても、その度合いが違えば、あっという間に仲違いします。
それに対して、作品の中の人とはコミュニケーションが取れませんから、こっちが同じだと思えばそれまでだし、そう思ってる限りはどこまでも同じです。寂しい一人相撲ですが、そういう思いこみで結構安心できますから。
本当は、どこにも自分と全く同じことを考えている人間なんか絶対に居ないし、だから話をしていて面白いはずなんですけど。
だけど、どうしても一人だと思える時が結構あって、そういう瞬間の怖さ、寂しさを多くの人が知っているから、一緒だと思えることがこんなに大切にされるんだと思います。もっと言えば、誰もが感じるそういう心の隙間を埋めるために、作品やゲームは消費されていく運命にあるのかも知れません。そういうものだとすれば、共感できないというだけで理解を破棄されることも、少し筋が通っているのかもと思います。
多くの作品を知り、その向こうの作り手の世界まで覗けるようになれば、評価軸が共感以外にも増えます。また、年を重ねて学校や社会での人間関係を重ねていけば、様々な人が居るという、共感の枠そのものも広がっていきます。
もしどうしても腹立たしい様であれば、浅い人や狭い人のことはそう気にしないで、その人たちを狭いと思える自分のことを、口に出さずそっと噛みしめていれば良いのではないでしょうか。あくまでその人たちには何も言わずに。
あるいは作品として、読めば愚かしさに気がつき、かつそこを皮肉る形のものをどんどん作っていくという方法もあります。僕は、本当に凄い作り手ならば、中身の無い批判をする前に、批判したい思いを昇華させて傑作を作るべきだと思っています。
両方狡いやり方かも知れませんが、スマートで自分にストレスを与えません。関わらなければならないこと、あるいは自分で関わると決めたこと以外には、不必要な関心を払わないことも、幸せに生きるための一つの方法です。
最後辺りは説教臭くなってしまいました。ただ、意見としては共感を問題にすること自体はそう悪くないと僕は思っています。
それでは、また。
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