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心に残った場面

JUN [6944] 08/09/16(火) 21:27
 どうも、お久しぶりです。初めての方は初めまして、ここで小説を投稿しているJUNと申します。
 また聞きたいと思ったことがあるので、どうぞお付き合いください。

 今回は題名どおりです。今まで読んだ小説とか、プレイしたゲーム、あるいはドラマに映画などの中で、心に残った場面について教えてください。

 ただ、少し条件を付け加えさせて頂こうと思います。皆さんの個人的な名場面について聞きたいのです。
 お話の中には、大抵、誰が見てもその良さが分かるシーンというのがあります。見せ場とでもいうのでしょうか、そういう場面です。市販されているゲーム、小説、映画、ドラマなどはそういう場面を作ることで、人に面白いと思ってもらうこと、そして買ってもらうことによって成り立っています。
 そういう場面を作れるというのは、作り手として優れていることの証明ではありますし、そこを見抜くとか、そこについての話をすることで、話を作るテクニックとかには慣れられるでしょう。そこに感動するというのも、当然のことではあります。だけど、それはある意味誰でもやれるし、誰もがやることだと思うんです。

 だから、僕がここで尋ねたいのは、話からすれば枝葉に当たるような場面です。また、作り手はここをそこまで見て欲しいわけじゃないんだろうなあ、というのが分かる所です。そういう所が心に残るっていうのは、読み手の人格とか心の状態によりますから。僕は答えていただく皆さんの、そういう部分が現れる所を見てみたいんです。
 もちろん、見せ場に感動したんなら、それについて語ってもらっても構いません。その場合は、作品全体について語ることにもなるでしょうか。

 そういうわけで、まとめます。
『小説やゲーム、映画、ドラマなどで心に残った場面について語ってください。特に話の筋とそこまで関係しないような場面を。そこが気に入った時の理由についても、できれば教えてください』
 こんな所でしょうか。色んな回答を待っています。

 僕はまだ決めていませんが、しばらくしたら、僕自身の何かについても語ろうと思います。

Re: 心に残った場面

JUN [6982] 08/11/07(金) 08:49
皆さんわりと真っ直ぐというか、ストレートというか、そういう意見が多いみたいで、こんなことを書いて良いのかどうか、迷いますが。

 ぱっと思い浮かぶのは、週間少年ジャンプで連載している『ワンピース』という漫画の一場面です。
 敵の親玉が、姑息なまでに策謀を使って目的を達成してきた部下を処分する時に、こう言うのです。
『いざって時に使えねえ奴ほどくだらねえモンはねえ』
 この敵の性格とか、また処分されるキャラクターの人格は無視しておきます。僕はただこの言葉が怖かったんです。当時、成績はまあ良いほうで、授業は真面目に受けていたから、勉強という面ではそこそこ自信がありました。しかし、人格としては自己中心的でどこまでも人の話を聞かなかった僕は、コミュニケーションには自信がありません。例えば何かの話し合いで皆をまとめるとか、自主的な学習を求められるとか。そういうことにおいて、自分が何の役にも立たず、勉強したことなんて何一つ使いこなせないことを僕は知っていました。
 上の言葉を聞いたとき、僕はそれを『いざって時』におきかえ、そこで自分が役に立たないことを、『使えねえ』として、そういう僕を『くだらねえモン』だと思ってしまいました。
 まるで自分の姿を言い当てられて当てこすりを受けたようで、衝撃だったのを覚えています。何が結びついてそうなっていたのか、良くは思い出せないのですが。とにかく、自分が『いざという時に使えない人間だ』と思い込んでいたみたいで。

 もう一つは、三浦綾子氏の『氷点』という小説において。この中に出てくるお医者さんで、誰からも好かれ、真面目に仕事をし、またそれを装いとかじゃなく、当然だと思っている人が出てきます。
 彼は誰にも知られない所で自分の醜さを抱えています。具体的には妻の浮気を疑い、人知れず苦しめるために、自分たちの娘を絞め殺した死刑囚の子供を引き取ってきます。しかもそのことを偽って、単なる親が分からない子として妻に育てさせるのです。この子供についてなのですが、この男性は自分たちの娘を殺した男の娘だと知っています。しかしその娘が成長するに従い、美しく育ってきたからという理由で、性的な興味から自分はその女の子に対する憎悪を忘れていくのです。綺麗な人を見た時に、こんな綺麗な人が悪い人なはずがない、とういうアレですね。
なお彼には、高校生の頃、世話を任された七歳くらいの女の子を泳ぎに連れて行って、性的な悪戯をしてしまった経験もあります。引き取った女の子がその子ほどに成長したとき、しがみついてきた自分たちの娘にその経験を思い出すのです。性的なことを知らない女の子とそういうことをすることについて、一般論的な考えまで述べられ、描写されています。
 一見優しい、いい人だと言われる。そしてそういう側面が、自分でも偽りだとは思えない。それなのに分裂した醜い部分を抱えていて、優しい面の基準で考えると一体それが何なのか分かりかねて、肯定できない。
 最近の僕の傾向です。犯罪とされる行為を犯したことはありません。だけど、自分を振り返ってみたとき、吐き気がするほど醜い部分の存在もまた感じます。『氷点』は引き取られたその女の子の描写が主で、『神を信じ、真摯に生きること』というのが本来のテーマとなっています。『続・氷点』という本があり、そちらのほうにはまだ触れていないのですが、こんな父親がどんな風に救われるというのでしょうか。

 これらは、できれば見なければ良かったことの部類に入るのかも知れません。だけど、不意にそういう物に出会うのも、小説を読む楽しみ、というか小説とか芸術的な物に触れる時、起こることの一つだと思います。
 考えてみれば、そんなことはこんな場で言いにくいものだということが分かりました。

 皆さんの思い出が綺麗目だったので、敢えてこういうおぞましい出会いを載せました。でもせいぜいこの辺りが、僕の底だと思います。レスを下さった皆さん、また読んでいただいた皆さん、本当にありがとうございました。

Re: 心に残った場面

◆ アキル [6959] 08/10/12(日) 16:25
私は……そうですね。心に残った場面はやっぱり、エターニア(TOE)でレイスが助けに来てくれて、身を賭して守ってくれた場面でしょうか?
命よりも大事なものがあって、それを守ろうとする努力に感動しましたね。

それと、TOD2で裏切りと知りつつも、身を挺して仲間のために戦ったリオン(ジューダス)も同じくらいに感動しました。

ちなみに、テイルズシリーズは全てをやっていましたが、これは全て大好きですね。

Re: 心に残った場面

◆ 樹 [6958] 08/10/10(金) 00:37
 こんばんは。また宜しくお願いします。
心に残った場面……というか、台詞です。私からは二つを。

「みんな あなたたちが すきなんだから」  (『MOTHER』)
「でも、アセルスはそんなことしないよね?」 (『サガ フロンティア』)

 両作品それなりに有名なタイトルなので、すぐ思い出せる方もおられるかもしれませんが、場面の説明をしておきます。
 たしか前者は、マジカントという国の王女が主人公一行に言うものですが、すみません、私自身ちょっと詳しい状況までは思い出せません。
 後者は、主人公の一人クーンの、これまた主人公の一人アセルスに対していう言葉です。アセルスは望まないのに妖魔の血を輸血され、世界でただ一人の、半人半妖魔という立場に置かれたという設定の少女(「妖魔」の説明は省略しますが、要するに人間でないものです)で、妖魔の能力でモンスターのクーンを吸収することを危惧し、私のこと怖くないの? と訊くのですが、吸われちゃうのはヤだな、と前置きした上、こう答えます。

 二つはイベントでなくて、フィールド画面で対象人物に話しかけてふつうに
返ってくる物ですから、枝葉といっていいと思います。

 なんで私がこれらに反応したのかって、ありていに言えば「受容されている事への感謝」なのでしょう。王女を前にした主人公たちがどれほど励まされたか。妖魔にされてしまって不安なアセルスが、どれほど嬉しかったか。二つのゲームに共通してると思われる「台詞を含めた描写が淡白」という要素もあって、私の二次創作的な想像力を刺激してくれました。

「描写が簡潔であることは、必ずしも不親切を意味しない」
 小説では、そう言っていいのかも知れない、と思います。作者は描写なり説明なりをあえて放って、読者に任せる、という感じで。


 枝葉、見せ場でない部分と耳にして、もう一つ感じるのは。

 見せ場といって、伏線やウィット、二重三重のトリックなどを駆使して演出される「見せ場」は、確かに読者を惹きつけます。そうして力を込めた場面を
私たちは技巧と感じ、うなる一方で、ただ一つの言葉に躓いて、なぜこんなささいな事で、涙が出てくるんだろうと不思議に思うことがある。

 なにを説明されたわけでもないのに胸にくる。
 そういう一言は、読者の何かに反応したのでしょう。個人的な、おぼろげに残っているだけの記憶のような郷愁とか、あるいは愛情や哀悼の念、感謝、涙に対する感受性などのある人々に通低するもの。
 いろいろ言えるかも知れないけれど、それらは幾百幾千とつみあげ練り上げられた言葉と同じことを、ただ一言で成した、とも言える。

 枝葉で感動させる、ということを意識してできる作家がいるのだとすれば、
その一言の扱いが巧い人、ということになるのでしょうか。言うべき言葉を言うべき時に言う(……という話ではないのか?)、そういう言葉を知っていて、言うべき時を知っている。あるいはたえず模索している。


 私たちは、手に汗握る見せ場と同じくらいに、そういう一言を待ち望んで、読書をしているのかも知れません。

Re: 心に残った場面

◆ イコ [6946] 08/09/16(火) 23:33
こんばんわ。
私の場合心に残る場面……というと、大抵「きっと作者はこのシーンが書きたくて仕方なかったに違いない!」と思ってしまうので、どんなに枝葉の部分でも見せ場のように感じてしまいます……。
なので、重箱の隅に拘らず、自分的に印象に残った場面と言う事でお答えしようかと思います。

私にとっての心に残った場面のひとつは、宮本輝の『泥の河』の序盤のワンシーンです。
太平洋戦争の傷跡残る街に住む主人公の少年は、舟の家で暮らす姉弟と知り合います。少年も決して豊かな生活をしているわけではないけれど、川に浮かべた薄暗い舟の中で暮らす姉弟とその母の暮らしに触れ、なす術もなくどん底に生きるモノのかなしみを感じ取ったからでしょうか。
家の冷蔵庫からこっそり冷えたラムネの壜を持ち出し姉弟の元へ向かうのですが、結局ラムネは川に投げ捨て、姉弟には会わず家に帰ります。

上手に説明することができなくてもどかしいですが、少年のつたなさや澄んでいるのにどこか澱んだ色に染まる心、その時代に生きる人々の貧しさやささやかさといったものが皆この『ラムネ壜』に象徴されているような気がしました。たった数行のくだりですが、握り締める壜の冷たさや重さ、夏の日に照る輝きなどの情景も思い起こされ、個人的な名場面です。

物語自体が、少年の視線を通じて、貧しさの中で生きようとする人々の哀しみを描いているので、多分JUNさんの聞いておられるような『話の筋とそこまで関係しないような場面』ではないかも知れませんね……
どんな些細な場面でも、読み取り方によっては物語を象徴する場面となりますし、それを探し出すのもまた、お話を読む楽しみですよね。

無理矢理まとめてしまいましたが、ともあれそれがイコの個人的な名場面でした。
ではでは!
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