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文章と映像

JUN [URL] [7058] 09/01/09(金) 23:25
 新年明けましておめでとうございます。そして、本当にお久しぶりです。
 初めての方は初めまして、JUNと申します。

 ちょっと思う所があって、企画の方には顔を見せられなかったのですが、落ち着いた様なので一つスレッドを立てさせていただきたいと思います。

 特に人物の外見を描写する時の話なんですが、僕はどうも外見描写で想定する登場人物の姿というのがあいまいになってしまうんです。
 大体こういう感じの人という『イメージ』はあります。だけど、それは漫画絵の二次元のキャラクターなのか、それとも現実に居る三次元の人なのか、そこの所が自分でもどうにもはっきりしないんです。
 僕はここでテイルズシリーズの二次創作を書き続けていますが、創作元のテイルズはゲームの原画とか映像を見る限りはほとんど二次元で構成されているはずです。だから当然場面の映像も、漫画の絵とかゲームのポリゴンとかそういう風になるはずなのでしょうが、僕はそんな風には思えません。かといって、今僕が見ているものと全く同じという風にも思えないんです。大体、こちらにはテイルズのキャラクターそのものが居ませんし。
浮かんでくるのが本当に漠然としたイメージの様なものばかりなんです。むしろ、だからこそ文章に起こせるんじゃないかと思います。

 知り合いに尋ねた所、いわゆるジャンル分け無しで、作品に最もはっきりした違いを与えるのが、小説を書くときに書き手が想定する場面や映像が、二次元であるか三次元であるかなのだそうです。結局どちらを使っても良いのですが、自分の傾向を自分で把握し、作品の映像をどういう風に仕上げたいかを考えながら使い分けることが出来なければならないということでした。

 僕は今まであまりそんな風に考えたことがありませんでした。小説においても、ある程度明確な映像に起こすとどうなるかという視点が、重要なのでしょうか。

 僕は今の所、それよりも文章が与える感覚みたいなものの方が重要だと思っています。例えばいくら詳細な絵が思い浮かんでいても、それを寸分たがわず相手に伝えようと思ったら、言葉で説明するよりそのまま詳細な絵にしてしまった方が良いのではないでしょうか。それが文字の欠点だと思います。
 でも、その人が何を考えてるか、あるいは何を感じているか。そこの所を現せるのは文字の強みだと思います。ある程度状況を整えて「楽しい」と書けば、その人は楽しいんだということが分かってもらえます。だけど、楽しい気分を絵にするのは、外見描写を絵で伝えるよりも難しいのではないか、と思うんです。
 こんな風に考えるのは、僕が絵を描けないからかも知れません。だけど、僕は自分が文章を書くことに何か特別な物を見出したいんです。小説を書いている以上、文章でなければできないことがあるのなら、そちらを大切にしたいと思います。

 皆さんは、どう思われますか。
 書くときに想定する映像のこと。あるいは文章と映像の違いと類似点についてとか。
 文章と映像をキーワードに、何か思い浮かんだら、書き込んでいただけると嬉しいです。
 僕の意見への反論や質問でも構いません。
お答えできる範囲でなんとか答えたいと思います。

Re: 文章と映像

◆ リリア [7139] 09/03/04(水) 12:04
こんにちは。リリアと申します。

登場人物の姿・・・ですか・・。私としては今までオリキャラを何人か書いてきたのですが、大体こんな感じだろう、と絵にしてみたりはしています。ただし、物語の流れ的に外見を伝える必要がある場合、こんなキャラだと伝えたい場合を除いては、そこまで細かく描写しません。私も三次元、現実の人間として想像するのでなく、二次元で想像してますね。ただし、風景描写の場合は三次元を想定する場合が多いかな・・。想像できないときは、写真を見たりして、描写します。
でも、こちらが想像した描写を読者に100パーセント伝えられるのかと言えば、疑問です。私が書いた文章で、読者さんはどれほど想像してくれるのか、もし伝わってなかったら、自分の力量不足でしょうねorzここで思うのは、描写が細かいのももちろん大事ですが、細かすぎて、表現だけに力を加えすぎて、複雑すぎて読者に伝わらないのはどうかということです。あくまでも読者目線に立って、この描写でこの風景が伝わるだろうか、ということを考えなければいけないのかな、と思います。その描写がそれほど凝ってなく、少々簡潔でも、読者に風景が伝わりやすいのがいいのでしょうか。
もちろん、緻密で凝った描写かつ、読者に伝わりやすい描写が一番いいのでしょうね。私はどちらも欠けているので、最近、描写力の必要性を痛切に感じながら、思ったことです。


なんだか・・・何が言いたいのかよくわからない文章になってしまって申し訳ありません(こんなところにも描写力の欠如!!)文章は映像と違い、100%作者が見たものと読者が見たものが一致するわけではないのですが、その100%に少しでも近づくように、細かかつ伝わりやすい描写が必要なんじゃないかと思います。その二つのバランス・・?うまく言えないのですが。
もちろん、緻密だからこそ伝わりやすい描写もあると思います。私自身が表現に傾倒しすぎてかえって伝わりづらくなった時期があったので、そう言うだけなのかもしれませんが・・・。


以上です。お目汚し失礼しました!!

Re: 自分は特に映像を意識してます。

◆ アキル [7131] 09/03/01(日) 18:06
自分は主に映像を意識して執筆しています。

例えば全体像とか、世界観は創造をしながら書いてますね。実際に草の感触とか触ってみないとわからないのですけれど、全部想像で書いてます。
岩の感触や木漏れ日とか鳥の囁きとか、映像を一気に映し出して浮かんだものをそのまま執筆します。シンクロ技法というものなのらしいのですけれど。

要はその世界観に自分が入りびたりながら、執筆をするというわけですね。
とは言うものの現実は厳しいです。 トホホ。

Re: 文章と映像

◆ 斧 [7083] 09/01/21(水) 20:38
 文章によって伝えることの利点として、言い回しを工夫することで読み手側に想像する余地を残すことができる、ということが挙げられます。これは見たままにしか伝えられない映像作品では難しいことです。ただし、文章だけの利点を生かすのと文章を書くことは別問題であり、ビジュアルがしっかりわかる資料がないと書き手側もなかなかイメージが固まらないでしょう。人間の想像なんて限界がありますしね。

 結論です。これは文章に限ったことではないですが、既存のものを題材に別のものを生み出そうとするのであれば、"本物"を知っていないとよりよいものはできないかと思われます。すなわち、二次創作でキャラクターを作ったのであれば、設定原画などがあるとよいです。
 風景などの描写に関しては、ちょうどJUNさんのホムペにある風景写真が最高の資料になると思います。キャラクターの資料を作るのであれば、正面直立でポージングなしの一枚絵があるだけでずいぶん変わってくると思います。絵を描くのがちょっと……という方であれば、パリコレなんかのファッションショーの写真を片っ端から集めて、それっぽい服着てるヤツを主人公に見立てるという手もあります。

 心理描写は別として、文章で書く物のほとんどは目に見えるものです。目に見えるものですから、しっかり目で見て、それをいかにして魅力的な文章に変換するかが物書きの腕の見せ所であると、俺は考えています。

Re: 文章と映像

◆ イコ [URL] [7064] 09/01/15(木) 23:43
 こんばんわ。
 絵本描きとしては見逃してはいけないスレッドだなぁと思いつつ、皆さんのご意見に何だか臆してしまっていましたが……

>小説においても、ある程度明確な映像に起こすとどうなるかという視点が、重要なのでしょうか

 確かに、明確にビジュアルの見える文章というのは魅力的だと思います。
 けれどそもそも小説の魅力って、言葉からイメージを喚起し、自分なりの絵を思い浮かべることができる事ですよね。
 好きだった小説が映像化したときどうにも違和感を感じてしまった経験って、誰しもあるように思うのですが、それは自分なりに想像していたビジュアルが『映像』によって固定化されてしまうから。「これはこれ」と割り切らないと見られない時もあります……別に映像を否定しようという訳じゃありませんが、小説の楽しみ方と映像の楽しみ方はまた別のところにあるように思います。

 ちょっと話がそれてしまいました;
 明確な映像に起こすとどうなるか、という視点。
 私は割とハッキリ絵を思い浮かべながら書いています。媒体は文字ですが、頭の中では挿絵を描きながらなるべくそれが伝わる言葉を選んでいるつもりです。成功しているのかどうかは正直よくわかりませんが、感想で『絵本のよう』と言っていただけると「ああ、伝わったみたいだ」とひとり喜んでいたりします。
 とはいえ、ビジュアルばかりに囚われてしまってはどうにも読みにくい、窮屈な文章になってしまいますよね。
 時々情景描写や登場人物の背格好の説明が長々と続く文章に出くわしますが(こちらで掲載されているお話に限りません)、もうええから早う先進んでや〜と思って読み飛ばしてしまいます。『絵』の説明ばかりになってしまっては『小説』という、読み手が自由にイメージを思い浮かべられる表現媒体である意味がなくなってしまう。
 何も全てを書こうとしなくても、情景ならその場の雰囲気を強く印象付ける言葉、人物の説明なら、その人となりを端的に表す描写(例えば目つきや、小道具という手もあります)が必ずあると思うし、そんな言葉や表現を探るのもまた、小説の魅力だと思います。
 映像に起こした時にどうなるのかを考えるのは、そんな言葉探しのとっかかりになるかも知れませんね。

 年始一発目がこのような愚見で申し訳ありません……(いつものことですねw)
 ともあれ、私が言葉でお話を書く時に考えているのはこんな事です。
 それでは、失礼しました。今年もどうぞよろしくお願い致します。

Re: 文章と映像

◆ ブレイズ [URL] [7063] 09/01/14(水) 20:42
こんばんは。ちょっと自分の卑見をば。

映像とは人間の視覚に直接訴えるものであり、僕らはそれを映像そのものとして受容することができます。言うなれば映像は、映像そのものを目的として存在しているというわけです。対して文章は、それを構成する言語の特性上、文章そのものが目的とはなりません。言語とは結局のところ記号でしかなく、その記号は人間の概念と対応するために存在しているからです。(ただし詩作などに見られる言葉の構成そのものの美しさ、いうなれば言語自体の集合的芸術については、この限りではありません)つまり文章と映像という二つの媒体は、メタレベルで見た場合、まったく異なる階層に振り分けられているということです。

上で高嶺樹さんが仰っているように、言語から喚起されるイメージは人によってさまざまで、いうなれば言語は、書き手と読者との間を取り持つブラックボックスのようなものとしてしか存在できません。しかしそれにも程度があって、たとえば誰もが直観できる真理を言語で書く場合と、詩人が自分の感性で書いた詩とでは、読者に伝わる意味の振れ幅が違うはずです。前者は世界中の誰が読んでもそれほど読み取り方にばらつきは出てこず、後者は読む人によって捉え方はさまざまです。仮に数学を言語とした場合、前者は数学記号で書き下された定理や法則だとイメージしていただければよいでしょう。後者は印象派の画家が描いた、極めて形而上的な絵画にでも喩えられましょうか。

何が言いたいのかというと、言語とは人間が表現しうるどのようなものをも表現できる、唯一の媒体なのではないかということです。言語表現はあらゆる振れ幅を持ち、またあらゆる組み合わせが可能なのです。それは違うだろうと言う方もいるかもしれません。言語で映像は作れないし、色彩だって作れないし、音楽だって作れないじゃないかと。しかしそれは表現方法の違いでしかありません。言語は映像や音楽とは違って、言語表現そのものを目的とはしていないのです。言語は結局記号でしかなく、その記号は、読者に伝えるべき事柄をこそ目的として存在しているのですから。そもそも人間の思考は言語によって為されています。それを鑑みれば、人間の表現しうる事柄の全てを言語がカバーしているというのも、あながち間違いではないように思います。

だいぶ話が逸れている上に話を大きくしすぎているのでこれはちょっとおかしいだろうと思われる方も多いとは思いますが、いち学生の単なる卑見として生暖かい眼で見ていただければと思います。遅れましたがJUNさんスレ立てご苦労様でした。ではまた。

Re: 文章と映像

◆ 高嶺樹 [7062] 09/01/12(月) 01:45
 新年あけましておめでとうございます。高嶺樹(元「樹」)と申します。
 最近、投稿し始めたのを機に改名? 致しましたが、改めまして、よろしくお願いします。


 小説における外見描写は、あまり重要視していません。少なくとも小説執筆の醍醐味というふうには感じておりません。
 もちろん戦闘や探検が行われる場所の地形やら、登場人物が何を着なにを持っているか、笑っているのか泣いているのか、等々、最低限しらせておくべき情景について書き込むのにやぶさかではありません。必要なことなのですが、ただ人物外形を含めた情景描写全般については、基本的にこう思います。

「作者の脳内にあるビジョンをそのまま読者に伝えるのは、小説には不可能」

 どれほど文字数を費やそうが、原理的に不可能だと。
 なぜというにその、そもそもの描写をしている一群の文字や語句を見た時点で思いえがくものが、万人でまったく違うものだろうからです。
「医師」「お爺さん」「並木道」
 などの一般的な言葉を用いてすら。たぶん人が、それを目にするまでに歩んできた「自分の人生にまつわる記憶」から抜き出してきた映像を、思い浮かべるからなのでしょう。医者になったいとこのお兄さんや、将棋大好きな父方の祖父、わが愛犬コロの散歩にいつも通ったポプラ並木、等を。
 確実に「こういう姿の人物」「こういう景色」を思い浮かべて欲しいのなら、写真やイラストに任せるしかないかな、と。


 私が小説の醍醐味として(読む書く両面において)感じるのは、そういった感情を抜きに行う情景描写そのものより、(的を外した)情景描写でもって登場人物の様子、静けさや喧騒、その他、作品世界内におこっている一切合財を表現することです。……JUNさんが仰った「文章が与える感覚」に近いものかも知れないもので。
 一言で言えば、隠喩(暗喩)の世界?

「愛してる」と言うかわりに、妻の好きな花を庭に植える。
「大嫌い」と言うかわりに、そいつに会ったら思いきり路傍の石を蹴とばす。
 静けさを表現する際に、かわずが飛び込む水の音に言及する、というような。

「好き」とか「友達はだいじ」というとき、「好き」「友達はだいじ」と声に出していうではなく、その他の手段でそれを表現する。
 小説にはまずそれをものする作者の内的関心(=主題、テーマ)があるでしょうけれども、小説を読み始めた読者に対しては、その内的関心を伝えるべく、文字をつらねていく。もちろんその際「好き」「友達はだいじ」だと声高に叫んで(叫ばせて)もいい、それも作者の選択だと思いますが、「その他の手段」でそれを表現することを選んだのなら、「その他の手段」の部分が、作者のうでの見せ所に該当する部分になるのでしょう。

 好きな子に好きだと言うだけなら、幼い子供にでもできる(ハッキリ口に出すことで誠意を伝える、という面もありはしますが)。そこで花を贈ることでそれに代えると、ある種おとなのムードを演出できる。
 さて、自分自身や、自分の書く小説のヒーロー・ヒロインなら、相手に「好き」と言うかわりに何をどうするだろう? と、頭を捻って考える。

 考えたところに、作者の独自性が出てくる。
 医学的な知識の下敷きがあれば医学専門用語を多用、霊感がある人ならオカルトじみ、花が好きなら花言葉を伏線とし、バイトの経験豊富ならそれを活かす。スキルや好みや興味の範囲といった、その人固有のもの、その人の人生を歩んできたのでなければ出てこない言葉を使って、小説を書く。
 そうしているとふと、自分がよく使う言い回し、人物に言わせる率の高い言葉、といった、ある種の偏りやトーンが見えてくるのではないかと。

 自分の小説についてはよく解らなくても、自分の好きな作家の作品に通低する語調、雰囲気といったものを考えれば、作品を通して浮き上がってくる人間性なるもの、皆さんにも心当たりがあるのでは、と思います。
(そもそも「テーマ選び」の段階からして、その人を反映していると言えますが)

 ひごろ小説を含めた本を読み、食べ、眠り、そして時々書くその途上において、小説の醍醐味というなら、そういうものなんじゃないかな、というふうに感じます。


 技術的な面から私見を申しますと、上述のような(文章・作品レベルでの)隠喩を練習しようと思ったなら、封印・禁じ手を設定した上で描写の練習をするのが効果的なのではないかな、と思います。

 正義の大切さを謳う小説を書く際に、「正義」という言葉の使用を封印する。
 恋愛小説を書く際に、愛とか恋とか好きとかの類の言葉を一切、禁ずる。

 その他の言葉なら何でも使ってよい、とすれば、それこそテーマは同じでも、書く人によって無限の小説が生まれることでしょう。その色調、小説における自分の色ややり方というべきものが、執筆する上での核となる部分である。
 それに無自覚である方がいいか、漠然とでも把握しておいた方がいいのか、今はよくわかりません。
 しかし現在、興味をひかれてやまない要素ではあります。小説の。


 例によって議題から遠ざかっていってしまったのではないか、と危惧しつつ。
(高嶺)樹でした。それでは。

Re: 文章と映像

◆ 飛鳥 [7060] 09/01/11(日) 07:12
あけましておめでとうございます。飛鳥です。
秋頃から発病した余裕のなさが最近ようやく治まってきたので、久しぶりにお邪魔させて頂きます。よろしくお願いいたします。

短所は長所。そんなことを考えている今日この頃です。

私も外見描写を正確に表現する能力は、映像の方が優れていると思います。
文章のようにあれやこれや書かなくたって、目の前の映像を見れば一発ですからね。
ホント、視覚的な情報量の多さには驚かされます。自分で描写しようとする度に、またたまに小説を読んでいる時にも思います。
以前ラノベを読んでいた時、建物か何かの描写があったのですが、挿絵が自分のイメージしたのと違って 「そういうことかい……」 と一人で恥ずかしくなってたことがありました。
私の想像力のなさが原因ですが、正確に伝えるって難しいんだなぁとも思った瞬間です。


ただ、緻密に表現する能力が欠けているということは欠点でもありますが、強力な助っ人でもあるように思います。
分かりやすい例が叙述トリックというやつでしょうか。

自分のことを僕という女の子がいる。
女の子であることは明言しないで話を進めて、あるところで「僕は女だ」みたいなことを言わせて読者を驚かす。
「僕→実は女の子」くらいならアニメなんかでは見たことがありますが……この手のやり方は映像化したらあっけなく終わったり、そもそも映像化できないことが多いように思うので、写実性の欠如を逆手に取った、文章でしかできない手法じゃないかなぁと思っています。

性別のように本来はっきり見えるものをぼかすことができることは、文章の魅力のひとつだと思います。描写の精密さを作者が自由に操作できる、と言い換えることもできるでしょうか。
書こうと思えばいくらでも細かく書けるけど、全く書かないで進めることもできるのは面白いと思います。

性別のようにビジュアルを見せられたらすぐに分かるような些細なことに、わざと漠然としたイメージしか与えないで読者を楽しませる一要素にしたり、逆にできる限り緻密に描写して自分の伝えたいことを正確に伝えたり……ほとんど外見描写を書かずに読者のイメージに委ねて進めるという選択肢もある。
そんな選択の幅が、他の媒体ではできない多様性を生み出しているんじゃないかなぁとか思ったり……。

この曖昧さが楽しくて、映像や漫画があってもついつい小説を読んじゃったり、自分でも書いてみたくなっちゃうんですよね。うまく使って書けてるかは別問題なのが悲しいんですが……。

文字の弱点は裏を返せば文字だけが持つ特徴で、強みでもある……みたいなことが伝わっていればいいなぁ〜と思っております。少しでも分かって頂けたのなら幸いです。

新年一発目から失礼しました。それでは、今年もよろしくお願いいたします。

Re: 文章と映像

◆ kye [7059] 09/01/10(土) 01:34
あけましておめでとうございます、kyeです。

自分は絵が描けてたら漫画描きたかったかも、とかたまに妄想する奴ですが、漫画の道に引き返す気などさらさら無くなっております。
それは小説と漫画、それぞれの表現に決定的な差があるからなんですね。
それぞれ単純に言えば、字と、字と絵、ですね。

漫画には漫画の文法(手法)があって、その中で止まった絵を読者のイメージの中でひと続きの物語、あるいは動画にしちゃいます。
白黒の静止画が、イメージの中で総天然色の動画になっちゃうわけですね。

小説の場合も同じようなものだと思うんですよ。読者のイメージの中で像を結ぶものになるべきだと。紙の上にあるのは単なるインクの配列でしかないと。

JUNさんの仰るように、自分も小説の持つ絵的な外見・ビジュアルについては諦めてます。そりゃもう絵には敵わないし、写実性なら写真にも勝てない。
だからイメージの世界を土俵に、そこへ上るわけです。(もちろん読者を引っ張り上げる腕がないと空回りなわけですが……orz)

イメージさえあれば小説を読むには十二分ですから、自分は外見描写にはあんまりこだわりが無いんですよ。
とはいえ、イメージは伝えなければいけないので、いかんせん記号的な部分が突出しがちにはなります。(会社員はみんなスーツ着てたり、警察官は常時拳銃ぶらさげてたり)

読み手としてはインプリンティングといいますか、最初に触れたビジュアルにイメージが準拠しますね。
ライトノベルなら口絵がついてますから、その絵を本文の内容に当てはめて場面場面を想像します。
諸事情で挿絵担当者が交代したシリーズを読んだときは、最終巻のラストシーンだというのに、十年近く前に読んだ1巻のビジュアルでキャラが浮かんだりしました。(絵師さんのイメージを焼き付ける力ですね。時間を超えた体験に感服しました)

挿絵が無い場合もやっぱり最初に出くわしたイメージが強く刷り込まれます。
最初にだらしなく書いたら、後から引き締めたときにギャップが出たり、あるいは無理が生じたり。

結局「ビジュアル」ではなく「イメージ」という舞台で文章を書くなら、それは暗喩的だったり象徴的だったり、あるいは実体験とかけ離れて現実にとって懐疑的だったりするわけです。
ビジュアルにとっての正確性として写実性があるなら、イメージにとっての正確性として、作者の感覚をフィードバックさせる再現性が必要になってくるのだと思います。
作者自身も(ノンフィクションでないなら)イメージの中から物語を紡ぐわけですから、その言葉は人間的に生々しくなって構わないし、なるべきだとも思います。(このへんは内容次第でしょうけど、それはまた演出の話なので…)


やっぱり散漫な内容になってる気がしますが、以上が自分の意見です。
五感を刺激する語感といいましょうか。もっと空気や重力や時間を支配するような文章をいっぺんでいいから書いてみたいもんです。
小説もいいけど漫画もね、ということで……では〜
マジェスティックファンタジアン Nebel TreeRes BBS v1.00β Credit:校倉