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メタファーについて
- ◆ ブレイズ [URL] [7172] 09/03/25(水) 14:15
- こんにちわそしてはじめまして。ブレイズでした。
メタファー(暗喩)について皆さんがどう考えているのか気になったので、ここで記事にしてみた次第です。
ここで言うメタファーとは具体的に何を指すのかというと、たとえばシャンデリアを思い起こしていただきたい。シャンデリアはその繊細な意匠から、しばしば壊れやすい人体のはかなさを連想させるものとして使われてきました。サスペンス映画やなんかで主人公が犯人の立てこもる屋敷とかに踏み込むシーンがあったとき、よくカメラの視界が屋敷の天井のところにパンして、埃まみれのシャンデリアが写されることがあります。こんなカットがあったその後のシーンでは、たびたび主人公の相棒が死んだり、屋敷に新しい被害者の死体があったりと、人間の死が描かれることが多いでしょう。つまりここでシャンデリアは、死のメタファーとして、人間の死をにおわせるという効果があるのです。
だからシャンデリアの電球が切れ掛かっている状態なんかが描写されれば、そこから物語内で誰かの命が切れ掛かっているということが推察できますし、桜や海岸線なんかも、しばしば生と死についてのメタファーとして使われているようです。
さて、みなさんはお話を書くときに、こういった暗喩としてのメタファーを意識して使ったりするんでしょうか。映画で言うところの、さりげないカメラのパンなんかと同じように、小説でも、一見無意味に思えるような描写で、暗に何かを表現したりしていますか? しているとしたら、それはどういった文章なんでしょうか? そして、そうした暗喩的な描写は、読者の方にどの程度伝わっているものなんでしょうか? 差し支えない程度で意見をいただけるとうれしいです。
こうした映画的とも言える瞬間の描写によるメタファーが、はたして小説でも有効であるのか、最近よく悩むんです。自分が小説を読んでいても、そうした暗喩的な部分って、修行不足のためかなかなか汲み取れないですし、ましてや自分でそうした描写をしてみても、いかんせん自分は空気みたいな作者ですので、作品に対する反応が薄くてどう判断していいのかわからないのです。小説では一つの挿話自体が、ある暗喩的な意味を持っていたりして、大きなメタファーとでも言えばいいのか、やっぱりそういう表現が多いですよね。一瞬のメタファーには、それほどの力はないのかな……。
ではでは、まったりと返信待ってます。
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Re: メタファーについて
- ◆ JUN [7183] 09/04/09(木) 07:43
- お久しぶりです。最近めっきり忙しくなって、現れる確率は下がってるし、ホームページの更新すら思うように行きませんが。JUNと申します。
ずいぶん前ですが、ブレイズさんのディスコ探偵の書評読みました。メタフィクション、ってやつなのかな。ブレイズさんが好きそうな話ですよね。機会があったら、読んでみたいと思います。
さて、暗喩についてです。僕は小説においては、暗喩っていうのはどんな人も小説中で結構使ってるんじゃないかなあと思います。
というのも、暗喩って結構分かりやすい形にできると思うんです。例えば、順風満帆の主人公に何か恐ろしいことや悲しいことが起こる。こういう時に、それまで天気が良かったのに、突然黒い雲が出て雨が降り出すなんていうのは、多くのお話でよくやられることだと思います。
抽象的になりますが、全てのことが上手く行く場面で、晴れ上がったさわやかな空の場面を書いておいて、いきなり伝わった衝撃的な出来事の直後に現れる真っ黒な雲、落ちてくる大粒の雨――なんて書き方をすると良いんじゃないでしょうか。こういうやり方って結構皆やると思うんです。そして、読む側だって、こういう表現を見た時に、突然起こった恐ろしいことという感覚が、強調される場合もあるでしょう。このこと事体は、そんなに珍しくも無いんだと思います。そして、これも暗喩なんだと思います。
暗喩が分かりにくい、って考える方が結構いらっしゃる様なんですが、僕は文章の暗喩っていうのは、結構分かりやすくすることができると思います。ブレイズさんの例で言えば、シャンデリアですね。ブレイズさんは映画の中で現れる暗喩としてのシャンデリアを例に挙げています。壊れやすいシャンデリアがはかないものであり、死の象徴表現になっているということでしょうか。ブレイズさんの言い方だと、それは映画、つまり映像中のシャンデリアなんです。でも、文章だったら、ここに主観というのか、それを見ている人の感想の様なものを挿入することができるんです。
僕がシャンデリアを相棒の死の象徴として使うんだとしたら、そこに主人公の感想の様なものを入れます。一人称でも三人称でもある程度できると思います。どっちにしても、できるだけ詳細なシャンデリアの描写を入れて、それに対する主人公の感想の様なものをつけてみるんです。例えばこんなに綺麗で細かな物でも、床に落とせばそれだけで粉々に壊れてしまうんだ、という様なことを書いておきます。すると、読む人は、ああそういうこともあるよねと思ってくれるはずです。どちらにしても、命のはかなさ、存在の軽さっていうのか、そこに少しでも読み手をたどりつかせる様な工夫というか、細工をしておきます。
すると、その後で突然起こった相棒の死というのが増幅されていくんだと思います。映像の弱点は、この主観性を持たせるのが難しい点だと思います。シャンデリアを映すとはいっても、それには限界があります。アングルの面白さ、画面の効果等でシャンデリアそのものの印象を増幅することはできても、それを死のイメージに直接誘導することが難しいのです。事実、ブレイズさんにはシャンデリアや桜が命のはかなさの象徴として飲み込めるのかも知れませんが、それは多分映像作品についてブレイズさんがたくさんチェックし、どうやらシャンデリアや桜について暗喩として使われているというのが分かるからこそなんだと思います。そうでない人は、例えば風伯 慧さんの様に、シャンデリアがそういう表現だったと初めて知った、というようになるんだと思います。
もっとも、それが作品中でそう使われているんだと分からなくても、彼方さんの言う様に、雰囲気を何となく感じ取ることはできるのかも知れませんが。
文章の場合は、何か匂わせる様なものをつけておくことができるし、例えそれをやっても、暗喩として認められるんじゃないかなというのが僕の認識です。風伯さんが例に挙げられた羅生門だったら、最後の一文は、『下人の行方は、誰も知らない』というものでした。確かに映像的には下人が闇の中へ消えていく所で終わるんですが、最後にこの一文が来ることによって、下人はこれから誰も知ることのない様な闇に入りこんでいくのだということが強調されます。そして、彼のこれからというのは、恐らくそういう決して明るくはないものなのだということが分かるんだと思います。こういうことが簡単にできる分、馴れてしまえば小説中で暗喩を使うのはそんなに難しくないんだろうな、と僕は思います。
ちなみに、マジェで思い出した例は、旧投稿板の“ダオンドゥス”という人の作品です。作者一覧の一番左の列の、真ん中より少し下のあたりに名前があります。
『一生のお願い』という作品なのですが、不貞、禁忌を犯すといった背徳的な感覚が、まさにその場面の只中において、黒い雲と降り出す雨の形で暗喩となっています。この場面でカメラをいきなり外に飛ばし、天候の崩れを入れる所は凄いと思いました。それが雰囲気を壊さず、むしろ場面を加速させている点なんかは、絶対に僕がやれないし、やってなかったことだな、という。
ちなみに、ブレイズさんなら大丈夫かもしれませんが、ダオンドゥスさんの作品は結構独特で強烈です。世界観はこの人独自のTODとでも言いますか。僕は好きですが、もしよければチェックしてみてください。特に『ゴリラ物語』はお勧め。
ちなみに、僕がメタファーをどう使えているかというと、あまり自信がなかったりします。『落ち着く所に』ではそれなりにやろうと思った様な形跡があるのですが、メタファーってあまり考えていませんから、僕はできるだけ説明しようとしてしまいます。場面を書いても、メタファーにはならず、結局説明してしまっている場合が多いようです。
参考にもならない形で申し訳ありません。でも、メタファーって小説においても、結構有効だとは思います。少なくとも上に挙げた例は、十代の頃に一度読んだきりのものなのですが、メタファーときいて思い浮かびましたし。少なくともメタファーは二十三の僕の記憶にそれくらいの印象は刻み付けているんです。小説においても、隠喩はきっと、それくらいの力を持っています。そうでなかったら、国語でやらせないでしょうし。
久しぶりに楽しい話ができました。機会を提供してもらってありがとうござ
います。
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Re^2: メタファーについて
- ◆ ブレイズ [7189] 09/04/09(木) 23:40
- >>JUNさん
おひさしぶりです。お忙しいようですが、お体など壊すことのないように、無理せずご自分のペースでやってゆかれればな、と思います。>ずいぶん前ですが、ブレイズさんのディスコ探偵の書評読みました。メタフィクション、ってやつなのかな。ブレイズさんが好きそうな話ですよね。
読んでいただいてありがとうございました。ディスコ探偵はまさに僕の好みどストライクって感じで、生涯の読書体験の中でも一・二を争うほど興奮した作品でした。舞城王太郎の他の作品からのネタがたくさんあるので、この作家を始めて読むのには向いていないかもしれませんが、機会があればぜひ読んでみて欲しいです。>暗喩って結構分かりやすい形にできると思うんです。例えば、順風満帆の主人公に何か恐ろしいことや悲しいことが起こる。こういう時に、それまで天気が良かったのに、突然黒い雲が出て雨が降り出すなんていうのは、多くのお話でよくやられることだと思います
メタファーの中でもわかりやすい暗喩と分かりにくい暗喩が当然あるでしょうし、また、分かりにくい暗喩を読むにしても、読者によって味わいの深さは変わってくるのでしょうね。たとえば作者はこのメタファーで読者に10を伝えたかったとしても、読者はもしかしたら3合目までしか読めなかったり、あるいはYを読んでしまったり、八を読んでしまったり。要するにメタファーは、その暗喩が指し示すものと完璧な等号で結ばれるわけではなく、それを読む人によって、両者の間にはさまざまな包含関係が結ばれるということです。
上に示されたようなわかりやすいメタファーは、限りなく「メタファー=暗喩の指し示すもの」という等号関係に近い、つまり僕の言うところでは、奥深さがないのではないかと思うわけです。
わかりやすさを取るべきか、それとも奥深さを取るべきかという選択は、きっと描きたい場面によって違ってくるのでしょう。やっぱり「ここだけは読者に過不足なく伝えたい」という部分もあれば、「ここはちょっと深読みして欲しいなあ」と感じる部分だってありますからね。
わかりやすい暗喩と深みのある暗喩を的確に使いこなすことが出来れば、洗練された文章を書くことが出来るという事になるのでしょうか。>暗喩が分かりにくい、って考える方が結構いらっしゃる様なんですが、僕は文章の暗喩っていうのは、結構分かりやすくすることができると思います
これは上で言ったこととはまた違って、「わかりにくい(深みのある)暗喩を、補足することによって読者に伝わりやすくする」という方法について書かれていますね。このようにすれば、読者に対して伝達率の高いメタファーを描くと同時に、そのメタファーに味わい深さを付加することも出来ます。
上で言った「ここだけは読者に過不足なく伝えたい」という部分を描くときは、なるべく「わかりにくい(深みのある)暗喩を補足する」ように書くように心がけようかと思いました。でもこの気持ちは、「やっぱり平凡なメタファーなんて使ってられないぜ」という僕のいじましい心根が考えていることなのかもしれません。>僕がシャンデリアを相棒の死の象徴として使うんだとしたら、そこに主人公の感想の様なものを入れます
これが上記の「わかりにくい(深みのある)暗喩を、補足することによって読者に伝わりやすくする」という手法ですね。メタファーを「暗喩の内容を伝えるためのもの」として評価するのであれば、この手法は非常に有効だし、とても良心的だと思います。
ただ、メタファーを「たくさんの一瞬のメタファーを積み重ねて、物語全体の雰囲気を演出するもの」として評価するのであれば、暗喩についての補足なしで、読者に伝わろうが伝わるまいがそのまま一瞬のメタファーとして使ってしまうのもありだと思うのです。
いろいろな手法を自分の中で確立し、整理していくことが、洗練された文章を書くための一つのステップになってくるのでしょうね。>ダオンドゥス”という人の作品です
探して読んで見ます。>ダオンドゥスさんの作品は結構独特で強烈です
強烈な作品は大好きです。ちなみに舞城王太郎もかなり強烈な描写をする作家で、人を選ぶ作家です。読む場合はまず店頭で立ち読みしてから決めることをおススメいたします。>メタファーってあまり考えていませんから、僕はできるだけ説明しようとしてしまいます。場面を書いても、メタファーにはならず、結局説明してしまっている場合が多いようです
風伯慧さんへの返信でも書いたのですが、そういったせつめいしてしまっている場面というのは、一瞬のメタファーとしては成立していなくとも、大きなメタファーとしての役割をちゃんと持っているのだと思います。一瞬のメタファーが文章の深みを増すのなら、大きなメタファーは、物語全体のテーマを補強したり、そういう大きな役割を任せられると言う点で優れているのかな、と自分では勝手に思っています。
ということで、レスありがとうございました。こちらこそ楽しかったです。
読者の記憶に残るメタファーを書けることを目指して僕も頑張ろうと思います。
それではまた。
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Re: メタファーについて
- ◆ 彼方 [7181] 09/04/02(木) 04:46
- め、メタファーって何だっけ授業で説明されたけど覚えてないYO!な彼方ですこんばんは。
メタファーなんて単語を普通に使えるような人間になりたいです……orz
シャンデリアのお話、勉強になりましたありがとうございます。
あれですよね、漱石の『こころ』の下で、Kの部屋に通じる襖が開いてるとか開いてないとかの話ですよね……襖の開閉は、Kが先生に対して心を閉ざしてるとか打ち明けようとしてる、とかを現してる、とかなんとかの。
正直、言われないと分かりませんでした……\(^o^)/言われてみれば、なるほど確かにそうなんですけど。
漱石の小説って読み込むとものすごく深いし、メタファーとやらもものすごーく使われてるんだろうなぁと思います。
でも、さらっと読んだだけじゃその深さなんて全然わからないし、メタファーにも気付かない。
でも、正直さらっと読んだだけでも面白いんですよね…!
本当に面白い小説って、そんなものなんだろうと思いました。
そのメタファーが何を意味するのか推察できなくても、その単語から雰囲気を感じ取りますよね。
『こころ』の中に散らばる「血」や「血潮」の表現、それが何を意味するのか推察できなくてもその文字の雰囲気がなんとなーく、痛かったり、熱かったりするじゃないですか。シャンデリアに至っても、それが暗喩と知らなくてもその単語自体に、鋭くて、儚くて、といった雰囲気が含まれてますよね。
その雰囲気を感じるっていうのは、メタファーの片鱗を感じてる……ってことに通じるような気がします。
この文章にはこれこれこういう意味を込めたよって説明しないと100%が伝わることはないんでしょうね^^笑(伝える必要もないでしょうけど……
でも雰囲気だけでも伝わればいいかなーと思います。勿論感じる雰囲気は個人個人違ったものなんでしょうけど、それはそれでいいですし。
メタファーによって文章に深みが生まれるでしょうし、私は有効だと思います。
さらっと読んで伝わるのは3%もないんじゃなかろうか、というのが本音ですが、その3%が小説を面白くしてくれるなら嬉しいですよね!
あと、一瞬のメタファーにはそれほどの力はないでしょうが、繰り返し使うことによって効果は大きくなると思います。
『こころ』の主人公は、血のつながった実の父よりも血のつながっていない先生のことを父のように慕います。先生は主人公に手紙で己の過去を語ることを「血潮を注ごうとしている」と表現します。(ごめんなさいうろ覚えです。)主人公が過去を尋ねてきた時のことを、「血潮をすすろうとした」と表現します。(ごめんなさないうろ覚えです。)自殺したKの血は襖に飛び散り、しかし大半はKの布団に吸い込まれます。
ここまで連発されると、さすがに「あー、血ってあれか、つまり『こころ』とか精神的なものですか」的な雰囲気を感じます。
……ん?何か話がずれてますか、そうですか。
頭悪そうな乱文すいませんでした。実際悪いです。\(^o^)/
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Re^2: メタファーについて
- ◆ ブレイズ [7188] 09/04/09(木) 23:40
- >>彼方さん
こんばんは。返信させていただきます。
国語の授業で習ったことなんて全部実家の机の中に置き忘れてきた私なのでした。>さらっと読んだだけじゃその深さなんて全然わからないし、メタファーにも気付かない。>でも、正直さらっと読んだだけでも面白いんですよね…!>本当に面白い小説って、そんなものなんだろうと思いました
たしかにおっしゃるとおりですね。文章におけるメタファーは、いうなればRPGにおけるEXステージのようなもので、楽しもうと思えばとことん楽しめるし、そんなものの存在を知らなくたってその作品で感動することは出来るというわけですね。メタファーに気を割くあまり、物語の大本がおろそかになってしまうことはなんとしても避けたいところですね。>そのメタファーが何を意味するのか推察できなくても、その単語から雰囲気を感じ取りますよね>その雰囲気を感じるっていうのは、メタファーの片鱗を感じてる……ってことに通じるような気がします
そういったメタファーの雰囲気(片鱗)のようなものを、たくさんのメタファーの積み重ねによって読者にたくさん伝えて、それによって物語を演出するというのも面白そうです。一瞬のメタファーが読者に伝わりにくい以上、メタファーを有効に利用するには上記のように「たくさんのメタファーによって雰囲気を演出する」か、もしくは「一つのメタファーをある程度文章で補足し、丁寧に描く」かという二つの手法があるのかな、と今のところこの記事に返信してくださった皆さんの意見から考えさせられました。>さらっと読んで伝わるのは3%もないんじゃなかろうか、というのが本音ですが、その3%が小説を面白くしてくれるなら嬉しいですよね!
うれしいです!>……ん?何か話がずれてますか、そうですか。
ずれてませんよ。>\(^o^)/
/(^o^)\
ということで、レスありがとうございました。
それではまた。
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しまった。直喩しか使ってない!?
- ◆ アキル [7176] 09/03/28(土) 20:06
- どうも、最近は投稿数がずいぶんと減ったアキルでございます。そして、初めましてでいいのかな?
暗喩法と直喩法の二つがあるとは聞いてましたけれど。(っつーか、授業中に習っただけ。しかもうろ覚えなので……あれ?隠喩法だっけ?)誰か教えてくださ〜い!
はい。国語能力ゼロのアキルさんは放って置いて。
なんか、無意識のうちにと言うか、自分は主に気になっているところの描写を主にアレンジしてみただけですよ。
例えば、戦闘のときなんかは……(って、戦闘描写はほとんどない自分ですけれど)条件設定やコンマ一秒の世界で描いてますからね。無意識と言うか、自然とそういうものは身に付くものだと思いますよ。
そして、ちょくちょく伏線を張ってみたり、何気ない仕草が、全て意味があると思ってください。そして、それを回収するのが大変です。
はぁ……(溜め息)
あ……今のは暗喩だね。
さあ、僕の小説で探してみよう。
果たして何回、アキル君は溜め息を吐いたのかな?
ちなみに、直喩も使っている場合もあるので、探してみよう!
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Re: しまった。直喩しか使ってない!?
- ◆ ブレイズ [7187] 09/04/09(木) 23:39
- >>アキルさん
はじめまして。返信させていただきます。>あれ?隠喩法だっけ?隠喩と暗喩は同義語であるとYAHOO!辞書には載っているようです。>無意識のうちにと言うか、自分は主に気になっているところの描写を主にアレンジしてみただけですよ
書いている上で注目するべき描写を暗喩的にアレンジするというのは、たしかに効率的な手法かもしれません。どこか脇のほうから暗喩を引っ張り出して文章に埋め込んでも、それがお話の筋に合わなければなんにもなりませんからね。アレンジすることによって重要な部分を太く/厚く描写すれば、それでお話のメリハリも生まれてくるのだと思います。>そして、ちょくちょく伏線を張ってみたり、何気ない仕草が、全て意味があると思ってください
自分がいろいろな小説を読む上で、いつもそういった見方をしたいなあとは思っていても、なかなか拾えないと言うのが現実です。>はぁ……
ふぅ……
ということで、レスありがとうございました。
それでは。
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Re: メタファーについて
- ◆ 雛 [7175] 09/03/26(木) 19:34
- はじめまして雛です、
さっそく本題なのですが、私自身使わないこともありません。
が、あまり使おうとして使うわけではなく無意識に使っています。それに使ってる作品はほぼ無いのですが、興味をもったので返信させていただきます。
ブレイズさんのいう通りメタファーからはいろいろな事が考えられます。
何気ない物の変わり方で何かを暗示するような。
映画などではよくコップが割れる、電気が消えかかる。
その人と写っている写真、その人がくれた手紙等を急に見つけるなどという表現方法などがあります。
その表現に気づけば読者はこうなるのかな、もしかして、などのわくわく感というものが少しでも感じられます。
特に連載のパターンではそのメタファーで終わらせると次回に期待を、その時感じたわくわく感を引き続き感じることができます。
それは、読者にとっても作者にとっても好都合だと思うし、
見たときにいいな。と思います。
私の場合、花や雪、風食器類を使う事が多いです。
儚いものなどは雪。
根強く生きる者は花、雑草など。
強いけれど壊れやすかったり、壊れてしまった時(死んでしまう等)の時に食器類、
と言った感じで使うことがあります。
メタファーは見落としてしまうとなんの意味も持ちません。
が、それについて誰が気づいてくれているかどうか。
それも分かりにくいものです。
でも、読書も見たときにメタファーで心を満たされるそんなこともあると思います。
この表現、いいなだったり、
ここは後でこうなってしまうにかな。だったり、
でももし、その時満たされてもメタファーは、メタファーです。
最後の締めくくりの言葉等の一番作者の伝えたい言葉で薄れることが多いと思います。
長々と書きましたが結論的に言うと、
私は小説にメタファーは十分有効だと思います。
それに、さっき言ったのは小さなメタファーについての事が多かったですが、
メタファーに魅力が際立っていればその言葉で読者は感動し薄れることなくいくこともあると思います。(私自身、すごく好きなメタファーがあります。)
では、失礼しました。
[ 返信する ]
Re^2: メタファーについて
- ◆ ブレイズ [7186] 09/04/09(木) 23:39
- >>雛さん
はじめまして。返信させていただきます。>あまり使おうとして使うわけではなく無意識に使っています
書いている当人が感じている物語の雰囲気のようなものが、文章に滲んでくることも当然あるのでしょうね。おそらく無意識に出るメタファーとはそのようなものなのかな、なんて思います。>その人と写っている写真、その人がくれた手紙等を急に見つけるなどという表現方法などがあります。
メタファーと伏線はしばしば同化しますよね。物語の結末や話の流れを暗示するようなメタファーには、伏線としての効果が色濃く出ています。>でも、読書も見たときにメタファーで心を満たされるそんなこともあると思います
読者によってどの部分に心を満たされるのかは全然違っていますよね。たくさんのさりげないメタファーを積み重ねたような文章だと、一つ一つの暗喩は読者に全然伝わらなかったとしても、どれか一つくらいは誰かに共鳴してくれるはずです。そういう人によって共鳴する部分が違う文章とは、得てして「深みのある文章」と呼ばれるような文章であるようなきがするのです。そういった文章を、私は書きたい。>最後の締めくくりの言葉等の一番作者の伝えたい言葉で薄れることが多いと思います
メタファーと締めくくりの言葉は、必ずしも対立しないと思います。締めくくりの言葉がメタファーである事だってあるはずです。>メタファーに魅力が際立っていればその言葉で読者は感動し薄れることなくいくこともあると思います。(私自身、すごく好きなメタファーがあります。)
人に印象を残せるような文章を書きたいなと切実に思います。
ということで、レスありがとうございました。
それでは。
[ 返信する ]
Re: メタファーについて
- ◆ kye [7174] 09/03/26(木) 00:42
- こんばんは
ブレイズさんが必要とされている流儀とは別のものかもしれませんが、メタファー(暗喩)は、そこそこ頻繁に使います。
前提として、映画が映すのはビジュアルで、文章で表すのはイメージだと思ってください。
自分が書くメタファーは、登場人物の心情を、何か別のものに象徴して置き換えるようにして表します。(一応そのつもりでやってます……)
その分、セリフで直接的に語る部分を削ります。
しかし、この手法は相当読ませる文章を書く方でないと、ハッキリ言って自己満足以外のなんでもありません。
読者は作者が思ってる異常に、中身を読んでません。(少なくとも自分は読み込む自信はありませんw)
暗喩を読み取れる人なんて限られたごく一部の人だけです。
なので、読み取れなくても本筋には差し障りの無いものを、作品のアクセントとして入れる程度に留めておくのが、自分のような下手の横好きには身の丈にあっております。
なので、自分が書く場合は背景的なものに心情をダブらせることが多いように思います。わりあい、無意識に読み取る部分でもありますから。
(書いてる本人はあまり深く考えて書いていないので、後で読み取って、無意識にこういうものを書いているんだなぁ、と納得することがよくあります。)
あまり参考にはなっていないかもしれませんが、以上が自分のメタファーに対する意見です。
文章で表すのですから、あまり映像的な部分に凝ると、イメージがそちらに割かれて、暗喩にまで回らないかもしれない、というところには注意がいるかもしれません。(もちろん自分の流儀です。文体が変われば話は別だと思います。)
では〜
PS、一瞬のメタファーといえど、読み飛ばせないくらいいくつも散りばめれば、それは重なり合って色濃くストーリーに象徴的な影を落とす(かもしれません)
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Re^2: メタファーについて
- ◆ ブレイズ [7185] 09/04/09(木) 23:39
- >>kyeさんこんばんは。返信させていただきます。>登場人物の心情を、何か別のものに象徴して置き換えるようにして表します>その分、セリフで直接的に語る部分を削ります。
自分はふだん物語の展開や結末をほのめかすタイプのメタファーを使うことが多くて、それはつまり地の文で直接的に語る部分を削るという意図があってやっていることでした。登場人物の心情を暗喩で置き換えてその分のセリフを削るという手法は、今まで自分で自覚的にはやっていないことだったので、どうして気がつかなかったんだろうという心境です。小説のリアリティをある程度追求するためにも、その手法は必要不可欠なのかなと思います。何しろ現実世界で自分の心境を自分の口でペラペラ雄弁に喋る人間だらけだと、気持ち悪いですものね。ちなみに僕は今まで、セリフを削った分の人物の心境は全部読者に丸投げするという形になってました。自覚的に人物の心境を暗喩で示唆できるようになれると、文章も洗練されてくるのかなと思います。そういうの、憧れます。>読み取れなくても本筋には差し障りの無いものを、作品のアクセントとして入れる程度に留めておく>一瞬のメタファーといえど、読み飛ばせないくらいいくつも散りばめれば、それは重なり合って色濃くストーリーに象徴的な影を落とす
一つのメタファーを伝えるために書くのではなく、いくつも散りばめられた一瞬のメタファーによって全体を演出するという手法はなかなか有用なのではないか、という風に読みました。>書いてる本人はあまり深く考えて書いていないので、後で読み取って、無意識にこういうものを書いているんだなぁ、と納得することがよくあります
その気持ちわかる気がします。>文章で表すのですから、あまり映像的な部分に凝ると、イメージがそちらに割かれて、暗喩にまで回らないかもしれない、というところには注意がいるかもしれません
そうかもしれません。先日自分がこちらに投稿したお話(ラズベリー云々)は、イメージとしてのメタファーではなく、ビジュアルとしてのメタファーに主眼を置いたものでしたが、自分で読み返してみるとたしかに暗喩として読む前に視点を振り回されて忙しいな、という印象も受けました。この話はとても実験的なもので、意図的にビジュアルとしてのメタファーのみで構成してみたものだったのですが、この実験から得られたものは意外と多かったのかな、とわれながら思っていたりしています。
実際的な方法としては、やはりビジュアル的な一瞬のメタファーは、背景的なものだとか、そういう必要以上に読者を振り回さないものに限り、その上で使う他の重要なメタファーには、そのメタファーを補強するようなもの(上でJUNさんが出した羅生門の最後の一文の例のようなもの)を使って書くのが、丁寧でいいのかなと思います。読者に投げっぱなしにするような鬼畜メタファーの連続というのも、作風によってはアリかもしれませんがね。むしろ自分はそういうのが好きです。ろくに読み取れもしないくせに生意気かもしれませんが。
ということで、レスありがとうございました。
それではまた。
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Re: メタファーについて
- ◆ 風伯 慧 [7173] 09/03/26(木) 00:13
- こんばんは、興味深い記事だったので書き込みしてみようと思います。
まず質問に対する私の答えです。
暗喩(メタファー)を使った表現は多めにあると思います。映画のようなカメラワークより、物(シャンデリア)であったり現象(切れ掛かっている電球、桜etc)そのものが暗喩になっていることが多いです。私自身の・・・特にここにある作品でも暗喩は多用していますが、読者にどれくらい伝わっているかと問われると・・・私はさらに空気な存在で判断材料がより一層ない為、お答えは出来ないのですが。
その代わりに有名な小説暗喩描写として、一例を出せば。芥川龍之介の『羅生門』のラストシーンなどがあります。国語の授業で『暗喩の技法』を学ぶ物として教科書にあり、どこでどのように暗喩が使われているかを習います。
ちなみにうろ覚えなので細かい所は違うかと思われますが、文中の締め括りあたりに「夜闇の中へと走り去る男の姿」が描かれ、「その後の男のよからぬ未来」の暗喩とされています。
映画的・・・というか瞬間的な暗喩描写という面では、私にとっては小説の中の方が使うべき場所というくらいに感じています。同じ表現ばかりになる直喩(〜ような、〜ように)より、何気ない動作や文章に自然に組み込めるという意味では使い勝手の良い技法となります。余談ですが、私はむしろ映画での暗喩を見つけるのが苦手かもしれません。シャンデリアの意味は初めて知りました;
ただ、暗喩は今の余談も含めて絶対にわかるというものではありません。
読み手なり視聴者なりに、ある種のお約束と連想力を求めることとなります。
お約束とは「こう来れば、そうなる」という暗黙の了解で成り立つくらいに使い古された暗喩のため、まだ理解しやすいのですが、それ以外ではひたすらに連想ゲームです。
お約束的キーワード「桜」にしても桜→花が散る→命が散るなどの連想から生死関連になりますし、「硝子」なら硝子→脆い・砕けやすい・触ると切れる→人物の性格・性質を現す物として多用され、その人物を描く状況描写に組み込む等で暗喩にするのですが。この連想ゲームが作者と読者ですれ違ってしまう、もしくは読者側に全く連想されないと成立しがたい、されない無意味な表現になってしまいます。
そういう条件つきで、一瞬のメタファーにどれほどの力があるのか。
これには作者の力量と、さらに読者の連想や想像力、読解力にかかってくると思います。(ちなみに大きなメタファーというのは、テーマと呼ばれるのかもしれません)正直、流し読みしかしない方への効果はほぼ期待できないと思われます。暗喩の存在は二度読み、深読みして見つけて楽しむような節があるので。
本屋で読者が選んで読んでいる小説なら、これが無くてはつまらない読み物となってしまうかもしれません。ですが、ここの小説板のように大勢の書き手の一人となると、そこまで読み込んでもらうのは難しい。傾向としてどちらかというと、読みやすい、軽い小説が好まれる場所でもあるようですし。
よってこのような場に於いてに限っては、暗喩メタファーの瞬間的効果はかなり薄いのでは無いか。
・・・と自分の投稿作の反応薄いのは、暗喩を乱用して意味不明になっているのも一因だろうなとか考えていた、今日この頃の私の見解でした。
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Re^2: メタファーについて
- ◆ ブレイズ [7184] 09/04/09(木) 23:39
- >>風伯慧さん
遅くなりましたが、返信させていただきます。
こんなにたくさん返信が来るとは思っていなかったので若干戸惑っておりました。>瞬間的な暗喩描写という面では、私にとっては小説の中の方が使うべき場所というくらいに感じています
確かに考えてもみれば、映像の場合だと暗喩に使えるのはその場面/場所に存在している事物に限りますから(人物の行動や物語そのものが何かの暗喩となる場合もありますが、これは小説でも映画でも同じことです)、文章で何でも持ちだせる小説の方が、暗喩を持ち出しやすいのかもしれません。>暗喩は今の余談も含めて絶対にわかるというものではありません。読み手なり視聴者なりに、ある種のお約束と連想力を求めることとなります>連想ゲームが作者と読者ですれ違ってしまう、もしくは読者側に全く連想されないと成立しがたい、されない無意味な表現になってしまいます
確かにその通りで、補足無しの一瞬のメタファーはどうしても読者には伝わりにくいです。それを踏まえて「一瞬のメタファー」をどう活用していくかと言う点ですが、やはり下手な鉄砲数打ちゃ当たる式論法でたくさんのメタファーを積み重ねていって、それでもって、物語の雰囲気を演出するという使い方がベターなのかなと思います。それによって、たとえメタファーの意味が読者に伝わらなかったとしても、物語がまた一段と味わい深いものになるのかなと。100の「一瞬のメタファー」のうち1でも当たれば上々という心構えで使っていくのがいいのかなと思いました。>ちなみに大きなメタファーというのは、テーマと呼ばれるのかもしれません
物語全体がメタファーとなるものがテーマであり、それよりも小さな規模で、例えば主人公の友人の寓話的な短いエピソードが話の中に挿入されていてそれ自体がメタファーとして機能しているような場合を大きなメタファーとして僕は呼んでいます。
暗喩の乱用と物語の面白さが両立できるようになりたいなと思いました。
ということで、レスありがとうございました。
それではまた。
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