創作相談板 記事No.7195
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Re: シリアスとギャグの狭間で揺れる、ボクとナレーさん
- ◆ kye [7195] 09/05/02(土) 00:33
- こんばんは。kyeです。
及ばずながらツッコミに対する持論を広げさせていただきます。
まずツッコミというものは「常識」であり、いつも正常で、正解を下し、大多数の賛同を得るマジョリティとして発せられるものだと思って下さい。
逆に、ボケは「非常識」です。ありえないとか、誰もそんなことをしないというマイノリティを選び取る側です。
この非常識から常識への価値観の揺り戻しが、読み手の心に振れ幅を持たせ、そこに笑いを引き起こします。(この振れ幅を作るというものは笑いに限ったことではありません。心が動くことはすなわち「感動」ですから)
次に、読者へ与えるべき「常識」の形を考えます。
これは登場人物との距離によって、その質を変えます。
登場人物との距離が近い場合――例えば、登場人物にツッコミのセリフを吐かせる場合、これは「非常識」との距離がとても近いことになります。この場合、ツッコミ役はある程度、振りかざす「常識」に自由度を持っています。それはキャラ特有の思考や倫理、独自の常識があるからです。厳しく断じるように常識を説くもよし、優しく諭すようにするもよし、徹底的に無視することもあるでしょう。
逆に、登場人物との距離が遠い場合――問題に出ている地の文(ナレーション)によるツッコミなどの場合、人称によって一概には言えませんが、かなり客観的な表現を求められるでしょう。登場人物のボケに対して、そのツッコミは届かず、必然的に読者だけに向けられたツッコミになりますから。ゆえに正確性に重きを置いた理性的なツッコミを書き出すほうが相応しいように思います。
上記は持論ですが、高い割合で理想をはらんでおります。自分が書く場合はかなりケースバイケースになりますし、ノリで突き抜けたほうがいいか、客観的に整理したほうがいいかは書く段になって判断します。
あてにならないと思うならば無視してください。
以上、kyeのツッコミに対する私見でした。
では〜
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