創作相談板 記事No.6848
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返信と僕の体験
- ◆ JUN [6848] 08/04/12(土) 20:09
- 体験談
書き方が悪かったかなあと思います。僕自身何が聞きたかったのか、何が答えて欲しかったのか正直ちょっと掴めていません。>樹さんへ結構僕の言いたかったこと、言ってくれているような気がします。遠藤周作氏の作品は、『海と毒薬』、『ヘチマくん』、それに『おバカさん』しか読んでいませんが。引用文の中の真実を、僕は強調したかったのだと思います。事実は事実として、皆さんにとっての『真実』は何ですか、とでも尋ねれば良かったのだと思います。
体験談については、僕はもっと幸福なことがあると思います。樹さんがどうしてそんな風にしか考えないのか、と率直に思います。だけど、見てきたもの、聞いてきたこと、してきたことの違いなのでしょう。僕は、樹さんがしているようなことはどちらかというと苦手です。必死にやってみるものの、どうにも形になりません。直感的な嫌悪や、倫理的な拘束が働いて先に進めません。〜べしという考え方が強いせいでしょう。だけど、出来るのに理解できない、近寄りたくないっていうのは、できるだけ避けたいものです。>ルーキィさんへ的外れなんかじゃありません。僕が幸福と言ったのは、まさにルーキィさんがおっしゃる様な意味です。僕は何をする時も、できるだけ何かを感じたいと思って、やるのが望ましいと思っています。出来事だけ取ってみたら、何も変わらない日常とかでも、感じ方や出会ったものの抱き留め方一つで、どんな風にも色を変えるのであって。どんなことをしていても、一生それが出来る人で居たいな、と僕は思うのです。
僕のそんな風に感じられた体験は、高校生の時に『二都物語』を読んで、でした。
僕自身はその時も今も、社会に出てもいなければ、まだそれほど経験も重ねていないつまらない少年で青年です。それなのに、腕は良いけど悪辣な弁護士としてめちゃくちゃな生き方をしてきた主人公が、突然自分の人生を振り返って絶望した時、それに共感したのです。自分の悪い記憶ばかり思い出して、なんでこんな風に歩んできたんだ俺は、と誰にともなく問い詰めたくなる、そういう心境に。そうなった主人公を、主人公と姿のそっくりな夫を持つ女性が抱きしめて慰めました。その時の主人公の、自分が許されたというのか、それでも良いと言ってくれる人が居たっていうのか、その幸福感というか、喜びというものは僕にとって忘れられないものでした。
現実では、そんな風に人がこちらの心の中へわざわざ踏み込んで抱き締めてくれることなんて無いし、そんなことを期待し過ぎてはいけないのは、さておいて。
そして、その後。策略により死刑になるはずだった女性の夫の身代わりとなって、主人公はギロチンにかかります。たった一度の口付けと抱擁で、深淵から自分を救ってくれた人ために。その時の彼の心境を読んでいると、圧倒的なくらい清らかで美し過ぎて、僕には涙しか零れなかったのです。死なれる方の気持ちに〜とか、そういう当たり前のはずの理論でさえ僕には陳腐に思えてきてしまったんです。
そして、そこから未熟な間違った理論、励んでさえいれば何も言わなくてもそうやって自分を救ってくれる人がきっと出てくる。まじめにやる自分はそうやって救われる。僕を笑っている女子なんか、何か別の連中なのだ……的な気持ち悪い螺旋へと落ち込んでいって高校生活の一時期を棒に振るのですが、そこは割愛です。大学で人と話して、そんな状態からも一応脱することもできましたし。
ただ、言えるのはこんな風な考えの引き金になったのは、二都物語に書かれた彼の心情だったということです。その共感が僕の中に強い感情となって、それを考える内に僕の考えも変わっていったんです。二都物語は、フランス革命に題材を取ったとはいえ、実在の人物は出てきませんし、その意味では何一つ事実を書いてはいません。でも、僕にとってそこに描かれたことは真実で、そこから僕の考えは始まったんです。今から考えると、それはやっぱり幸福なことだったと思います。
どうせ本を読むのなら、そういう体験を、大なり小なり重ねて行きたいと僕は思います。だから、こういう話題にしてみたのですが、ちょっと重すぎた様です。
分かってもらえる書き方、話がし易い書き方というのも、重要なのですね。
ともあれ、お二方、本当にありがとうございました。そろそろ作品を更新して、今度はそこでお目にかかりたいと思います。
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