創作相談板 記事No.6938
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Re: ありえないということ
- ◆ 樹 [6938] 08/08/21(木) 01:30
- 今晩は。以前JUNさんのスレに書き込ませて戴いた者ですが、好奇心を刺激されたのでまた一丁やってみようかと。宜しくお願いします。
JUNさんの仰るような、実地に体験者を当たってその体験を共有していくのは、個人的には民俗学的にいう「フィールドワーク」に類する方法論だとお見受けします。ファンタジーよりはノンフィクションを書こうとする際に有効(場合によってはこれを怠ると訴えられるという程に不可欠なもの)な方法ですが、ファンタジーに適用する効用も大いにあるでしょう。ファンタジーもまた現実の人間が生み出したものであればこそ、その「親」のことを詳しく知ることが、それを描くに無駄である筈がなかろうというのが持論です。情景描写や心理描写、その他あらゆる場面において。
ただ「共感」という観点から言うと……
リアルにいる人とは、自分と相手が同じ人間であるという事実、それに基づいてなされる感情の遣り取り、ひいては「この人にありうることが自分にもありうる→気持ちがわかる」というプロセスがあって、共感を持つに至る。と仮定すれば、ファンタジー世界に存在する住人たる「ハーフエルフ」のアーチェとは、その過程をなす共通基盤、リアルではあった「自分が相手と同質である」という前提がない。千年生きることも、愛するひとを百年待つことも全くありえない。
ゆえに「共感」は成り立たない……はずなのですが、事実として我々はアーチェの気持ちがわかると言う。共感は成り立っていると見える。それは思うに、彼女が人間ではなくとも、人間を同じような心を持っているという、物語中で暗示する描写にある。愛しいと思い、哀しみに涙する心を、共感に必要となってくる共通基盤としている訳ですね。
それと「百年待った人の気持ちは、同じく百年待った人にしかわからない、ゆえにアーチェの気持ちはわからない」というのに対して。
「共感」というものに不可避な、本質的なものとして私には「類推」が存在する、と考えています。私にも起こりうる。「同じ」だろうが「似たような」だろうが、その苦しみ哀しみを味わう可能性が私にもありうるから、私はあなたの気持ちがわかるという(厳密には「似たような」状況を感じた場合のみ、類推が働いている、と言えましょう)。
ですからアーチェの苦しみに共感するために、必ずしも百年の孤独を味わう必要はない。不謹慎な例かも知れませんが、北朝鮮に家族を拉致された方々にとって、奪われた家族の人数と帰ってくるのを待った年数で考えてみましょう。少なく奪われ、短く待たされた人が、より多く奪われ長く待たされた人よりつらくないなどということが、どうして言えるのか。心の動きというのは数量的に比較できるほど単純ではない、と思いますし、また言えたとしても、やはり前者は後者に、後者も前者に「あなたの気持ちがわかる」と言うでしょう。それもそこに「共感」があるからであり、その根底に「類推」が働くからこそかと。
「類推」は自分がまったく知らない、体験しようもない事象に対しても、より原初的な痛み・やけどするような熱さ、などの記憶を媒体にも、機能するものだと考えています。これも不適切かも知れませんが、原爆の被爆者の方々を
挙げてみます。
被爆した方々に、JUNさんの仰ったような方法でその体験を伺い、苦しみを想像することはできる。しかし同じように原爆を受けて苦しみを追体験することは、エルフなどの存在と比較すれば絶対とは言えないけれども、ほぼ不可能・「ありえない」でしょう。そういう意味では、戦時中の暮らしなどと同じように、原爆の存在も私たち戦後世代には現実離れしてファンタジックなものと言わざるを得ない。どうしてもイメージや想像を通してしか、向き合えない面がつきまとう、という意味でです。それでも原爆を受けたはずがなく、これから受けようもない多くの若い人々が毎年、広島を訪れ、原爆ドームの前や資料館で涙し、黙祷をささげている。
それはやっぱり、「共感」が働いているからではないでしょうか。どれほど熱かったか、痛かったか、苦しかったか……という問いかけを、見たこともない死者に発することで、自分の身に引き寄せて感じる類推をしながら。
「ファンタジー」の効用についても卑見を。
前にJUNさんのスレッドに、私の身にいろんなこと(人を殺す・人肉を食う・インセスト禁忌を犯すなど)が起こることをわざわざ空想している、と申しました。ありえないことを空想する、という点では、程度の差こそあれファンタジーの世界に遊んでいる、と言えるのかも知れませんが。
人間の歴史をたどれば、人殺しも人肉食もインセストも星の数ほど行われたことがわかる。それを少しずつ知るに至ってから、
「それでは人を殺した(人肉を食べた・肉親を穢したetc)後、もし生き残ることが許されたなら、自分はなにを思いながら生きていくのだろうか?」
という疑問が、絶えず自分の中に渦巻いている。「絶対に」ありえない、そんなの考えることすら気持ち悪い、と思考停止してしまう方が、健全な心なのだと思いますが、古今の小説でもさかんに取り上げられてきたこれらのテーマで、どうしても思考したいと思ってしまうのですね。まあ、ことは別にこれらの禁忌に限りません。例えば、
世界が終わる。その崩壊は、自分の大切な恋人をその手にかけることでのみ止められる……どちらを選ぶか?
ラノベなどで(テイルズにも)見られるこんな状況。リアルではありっこないです。「ありえない」ことを何故、私たちは考えてしまうのか、と言うと、それを考えることを通して、リアルで大切なもの、大切にすべきものを改めて確認するためなのだと、私には思えます。
ありえないことを通して、リアルではとかく多忙な日常や騒音なんかに紛れてぼやけやすい何がしか(ex.善とか魂とか崇高さとか)を、集約して考察の俎上にのせる。その表現手段としての、ファンタジーなんじゃないかと。
こんな返答で宜しかったでしょうか?
自分としてはファンタジーの効用という後者の論がなんだか、自分で書いていて腑におちず。挙げた例が厳密にはエルフの存在みたいな「ファンタジー」ではないからなのでしょうが、作風とかテーマとかによってもその定義が変わってくる面もありましょうし、簡単にはまとめきれず。
ヒマなときにまた考えてみます。
個人的にはJUNさんのこうした議題には、いつもどう答えていいかわからなくなって紆余曲折、出来上がった回答にもなんか満足いかず……というモヤモヤを繰り返し味わわされます。日頃ものを考えていないからだろーな、と思いますが。
結論なんか出やしない……と言うときも、しかしその「わからなさ」こそが面白い、という面も、確かにあります。
また面白い議題にはオジャマさせて戴けると楽しいです。それでは!
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