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創作相談板 記事No.6940

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「 ありえないということ」 はありえる。

◆ イル [6940] 08/08/22(金) 00:02
どうもこんばんは、イルと言う者です。乱文でよろしければ、意見を書かせていただこうと思います。

「ありえない」はありえる。

言葉遊びですが、JUNさんの言葉を見ますと、「ありえる」なら理解する事は出来ると言う風に受け取れます。
理解するのと考えるのとは違います。考えるというのは過程であり、理解するのは結果です。仰る通り、アーチェを理解することは出来ません。でも、考えることは出来ます。ここまでは、”アーチェをどう書くか”という最初の問題に解答を書かれた方達と同じです。しかし、先にはっきりさせておきますが、それはありえないを信じると同義ではありません。只の考えるという行動です。
そして二つ目の質問の「ありえない」についてですが、私はキャラクターとの共感にはっきりした価値を見出す事は出来ません。つまりありえない自体に、障害物として考えはしても、大した壁を感じません。勿論キャラクターの気持ちを本当の意味で理解できてないと感じ、歯がゆくなる事もあります。でも、想像が時に本当のそれを超えたり、本当の気持ちをわからないからこそ見えるものがあると感じるのです。つまり、アーチェ自身は分からないアーチェを知っていると思うんです。人の心理というものは四つの窓から構成されます。自分も他人も知っている部分、自分しか知らない部分、他人しか知らない部分、そして誰も知らない部分。JUNさんはキャラクターの「自分も他人も知っている部分(共有知識、ここでは設定)」と「自分(キャラクター)しか知らない部分(ここでは心情)」を考えることを主とされているようですが、私は「他人(プレイヤー)しか知らない部分(客観視)」を考えることがあります。他人しか知らないアーチェとは、私の中では「他人には理解できない苦しみの中でも生きる逞しさ」です。想像できない、ありえないをありえることとして「経験した彼女」を「見る」ことで、私達は本人達も気づかない別の面を描く事は可能だと思います。それは、他人の心を知ることは出来ないけれど考えることが出来ることや、他人さえも気づけないことに気づける事に似ています。
私はありえないことをありえると信じるのではなく、考えるという過程は時に結果以上の意味があると信じています。キャラクターのありえないをありえるとすることは出来ませんが、ありえないからこそ考えることの価値があると思うんです。

ありえない(ファンタジー)を只のありえない(ファンタジー)で終わらせるかどうか。

それがファンタジーに付き纏うものであり、ファンタジーを書く人が超えるべき課題、読む人が受け取りたい価値あるものなのかもしれません。また、多くの人がファンタジーを好きなのは、書き手がありえないで終わらせないからとも考えられます。

では、この意見が少しでも疑問解決に役立つことを祈りつつ、失礼させていただきます。

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