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創作相談板 記事No.6982

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Re: 心に残った場面

JUN [6982] 08/11/07(金) 08:49
皆さんわりと真っ直ぐというか、ストレートというか、そういう意見が多いみたいで、こんなことを書いて良いのかどうか、迷いますが。

 ぱっと思い浮かぶのは、週間少年ジャンプで連載している『ワンピース』という漫画の一場面です。
 敵の親玉が、姑息なまでに策謀を使って目的を達成してきた部下を処分する時に、こう言うのです。
『いざって時に使えねえ奴ほどくだらねえモンはねえ』
 この敵の性格とか、また処分されるキャラクターの人格は無視しておきます。僕はただこの言葉が怖かったんです。当時、成績はまあ良いほうで、授業は真面目に受けていたから、勉強という面ではそこそこ自信がありました。しかし、人格としては自己中心的でどこまでも人の話を聞かなかった僕は、コミュニケーションには自信がありません。例えば何かの話し合いで皆をまとめるとか、自主的な学習を求められるとか。そういうことにおいて、自分が何の役にも立たず、勉強したことなんて何一つ使いこなせないことを僕は知っていました。
 上の言葉を聞いたとき、僕はそれを『いざって時』におきかえ、そこで自分が役に立たないことを、『使えねえ』として、そういう僕を『くだらねえモン』だと思ってしまいました。
 まるで自分の姿を言い当てられて当てこすりを受けたようで、衝撃だったのを覚えています。何が結びついてそうなっていたのか、良くは思い出せないのですが。とにかく、自分が『いざという時に使えない人間だ』と思い込んでいたみたいで。

 もう一つは、三浦綾子氏の『氷点』という小説において。この中に出てくるお医者さんで、誰からも好かれ、真面目に仕事をし、またそれを装いとかじゃなく、当然だと思っている人が出てきます。
 彼は誰にも知られない所で自分の醜さを抱えています。具体的には妻の浮気を疑い、人知れず苦しめるために、自分たちの娘を絞め殺した死刑囚の子供を引き取ってきます。しかもそのことを偽って、単なる親が分からない子として妻に育てさせるのです。この子供についてなのですが、この男性は自分たちの娘を殺した男の娘だと知っています。しかしその娘が成長するに従い、美しく育ってきたからという理由で、性的な興味から自分はその女の子に対する憎悪を忘れていくのです。綺麗な人を見た時に、こんな綺麗な人が悪い人なはずがない、とういうアレですね。
なお彼には、高校生の頃、世話を任された七歳くらいの女の子を泳ぎに連れて行って、性的な悪戯をしてしまった経験もあります。引き取った女の子がその子ほどに成長したとき、しがみついてきた自分たちの娘にその経験を思い出すのです。性的なことを知らない女の子とそういうことをすることについて、一般論的な考えまで述べられ、描写されています。
 一見優しい、いい人だと言われる。そしてそういう側面が、自分でも偽りだとは思えない。それなのに分裂した醜い部分を抱えていて、優しい面の基準で考えると一体それが何なのか分かりかねて、肯定できない。
 最近の僕の傾向です。犯罪とされる行為を犯したことはありません。だけど、自分を振り返ってみたとき、吐き気がするほど醜い部分の存在もまた感じます。『氷点』は引き取られたその女の子の描写が主で、『神を信じ、真摯に生きること』というのが本来のテーマとなっています。『続・氷点』という本があり、そちらのほうにはまだ触れていないのですが、こんな父親がどんな風に救われるというのでしょうか。

 これらは、できれば見なければ良かったことの部類に入るのかも知れません。だけど、不意にそういう物に出会うのも、小説を読む楽しみ、というか小説とか芸術的な物に触れる時、起こることの一つだと思います。
 考えてみれば、そんなことはこんな場で言いにくいものだということが分かりました。

 皆さんの思い出が綺麗目だったので、敢えてこういうおぞましい出会いを載せました。でもせいぜいこの辺りが、僕の底だと思います。レスを下さった皆さん、また読んでいただいた皆さん、本当にありがとうございました。

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