創作相談板 記事No.7062
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Re: 文章と映像
- ◆ 高嶺樹 [7062] 09/01/12(月) 01:45
- 新年あけましておめでとうございます。高嶺樹(元「樹」)と申します。
最近、投稿し始めたのを機に改名? 致しましたが、改めまして、よろしくお願いします。
小説における外見描写は、あまり重要視していません。少なくとも小説執筆の醍醐味というふうには感じておりません。
もちろん戦闘や探検が行われる場所の地形やら、登場人物が何を着なにを持っているか、笑っているのか泣いているのか、等々、最低限しらせておくべき情景について書き込むのにやぶさかではありません。必要なことなのですが、ただ人物外形を含めた情景描写全般については、基本的にこう思います。
「作者の脳内にあるビジョンをそのまま読者に伝えるのは、小説には不可能」
どれほど文字数を費やそうが、原理的に不可能だと。
なぜというにその、そもそもの描写をしている一群の文字や語句を見た時点で思いえがくものが、万人でまったく違うものだろうからです。
「医師」「お爺さん」「並木道」
などの一般的な言葉を用いてすら。たぶん人が、それを目にするまでに歩んできた「自分の人生にまつわる記憶」から抜き出してきた映像を、思い浮かべるからなのでしょう。医者になったいとこのお兄さんや、将棋大好きな父方の祖父、わが愛犬コロの散歩にいつも通ったポプラ並木、等を。
確実に「こういう姿の人物」「こういう景色」を思い浮かべて欲しいのなら、写真やイラストに任せるしかないかな、と。
私が小説の醍醐味として(読む書く両面において)感じるのは、そういった感情を抜きに行う情景描写そのものより、(的を外した)情景描写でもって登場人物の様子、静けさや喧騒、その他、作品世界内におこっている一切合財を表現することです。……JUNさんが仰った「文章が与える感覚」に近いものかも知れないもので。
一言で言えば、隠喩(暗喩)の世界?
「愛してる」と言うかわりに、妻の好きな花を庭に植える。
「大嫌い」と言うかわりに、そいつに会ったら思いきり路傍の石を蹴とばす。
静けさを表現する際に、かわずが飛び込む水の音に言及する、というような。
「好き」とか「友達はだいじ」というとき、「好き」「友達はだいじ」と声に出していうではなく、その他の手段でそれを表現する。
小説にはまずそれをものする作者の内的関心(=主題、テーマ)があるでしょうけれども、小説を読み始めた読者に対しては、その内的関心を伝えるべく、文字をつらねていく。もちろんその際「好き」「友達はだいじ」だと声高に叫んで(叫ばせて)もいい、それも作者の選択だと思いますが、「その他の手段」でそれを表現することを選んだのなら、「その他の手段」の部分が、作者のうでの見せ所に該当する部分になるのでしょう。
好きな子に好きだと言うだけなら、幼い子供にでもできる(ハッキリ口に出すことで誠意を伝える、という面もありはしますが)。そこで花を贈ることでそれに代えると、ある種おとなのムードを演出できる。
さて、自分自身や、自分の書く小説のヒーロー・ヒロインなら、相手に「好き」と言うかわりに何をどうするだろう? と、頭を捻って考える。
考えたところに、作者の独自性が出てくる。
医学的な知識の下敷きがあれば医学専門用語を多用、霊感がある人ならオカルトじみ、花が好きなら花言葉を伏線とし、バイトの経験豊富ならそれを活かす。スキルや好みや興味の範囲といった、その人固有のもの、その人の人生を歩んできたのでなければ出てこない言葉を使って、小説を書く。
そうしているとふと、自分がよく使う言い回し、人物に言わせる率の高い言葉、といった、ある種の偏りやトーンが見えてくるのではないかと。
自分の小説についてはよく解らなくても、自分の好きな作家の作品に通低する語調、雰囲気といったものを考えれば、作品を通して浮き上がってくる人間性なるもの、皆さんにも心当たりがあるのでは、と思います。
(そもそも「テーマ選び」の段階からして、その人を反映していると言えますが)
ひごろ小説を含めた本を読み、食べ、眠り、そして時々書くその途上において、小説の醍醐味というなら、そういうものなんじゃないかな、というふうに感じます。
技術的な面から私見を申しますと、上述のような(文章・作品レベルでの)隠喩を練習しようと思ったなら、封印・禁じ手を設定した上で描写の練習をするのが効果的なのではないかな、と思います。
正義の大切さを謳う小説を書く際に、「正義」という言葉の使用を封印する。
恋愛小説を書く際に、愛とか恋とか好きとかの類の言葉を一切、禁ずる。
その他の言葉なら何でも使ってよい、とすれば、それこそテーマは同じでも、書く人によって無限の小説が生まれることでしょう。その色調、小説における自分の色ややり方というべきものが、執筆する上での核となる部分である。
それに無自覚である方がいいか、漠然とでも把握しておいた方がいいのか、今はよくわかりません。
しかし現在、興味をひかれてやまない要素ではあります。小説の。
例によって議題から遠ざかっていってしまったのではないか、と危惧しつつ。
(高嶺)樹でした。それでは。
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